2023年08月25日

40過ぎて初の2丁目

うちの店には、このブログのおかげなのか
2丁目初めて、という人が決して
少なくなかったりする。

その多くが30代だったりするものの、
昨日来てくれたミヤケ君は43歳。

それも東京生まれ東京育ちで、
このネット社会の中で、ほぼ
そういうことに触れずにいたのだそうだ。

30を過ぎてから、売り専を買ったことも
あったけれど、自分がどのように
動いて良いか、わからず、
ただ、されるがままで終わった。

お酒を飲むのが好きで、近所の
スナックなどには顔を出していて、
職場では「ひょっとして、そっち?」と
聞かれることもあったと言う。

ただ、僕からすると、経験のなさからか
ほぼゲイには見えないのだけれど。

そんなミヤケ君が思い立って、
2丁目に行ってみようと決めたのが昨日。

ぶらぶらと歩いていたら、立ち飲みで
外から見える店が見えて、ふらりと入った。

特にお店の人から接客されることは
なかったらしいけれど、隣に座った
外国人の30歳の青年に声をかけた。

そうすると、その彼が行きたい店がある、
と友人から紹介されたうちの店に
連れてきてくれた、
というのが流れだったようだ。

色々なパターンでゲイバーの門を
くぐる人はいる。
ゲイだけど、生涯、一度も行かない
という人も、もちろんいるだろう。
それこそ、マッチングアプリ全盛の
現代ならなおのこと。

ちなみにミヤケ君は、まだアプリさえ
やっていないのだと言う。
とは言え、まだまだ43歳。
これから多くのチャンスが
楽しみだと言っていたから、
それは良かった、そう思った。

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2022年11月04日

大切な新宿2丁目の先輩の逝去

本当は、昨夜の六尺デー・スペシャルのことを
今日のブログに書こうと思っていたが、
ここに来て、驚く訃報が飛び込んできた。

一応、その方に最も近い人からの了承を得て、
このブログに書かせてもらうことにします。

なんと、僕が若い頃に通った店、九州男さんの
元マスター、まっちゃんがちょうど一週間前に
お亡くなりになった、ということだ。

おそらく、九州男さんというお店は
45年も営業を続けているというだけでなく、
ゲイの中では、伝説とも言えるお店だった。

僕が最初の行ったのは、35年、いや、
40年近く前だったかも知れない。

当時の九州男は、女性は入れず、
それこそ短髪の野郎系のようなおじさん
(今の僕よりもきっと若い)や、
兄貴たちが飲んでいた。

他店では、オネエ言葉をまくしたてる
おばさんのようなお客さんが
「最近の若いコはねえ!」とか
説教をされる時代だった。

でも、九州男は黙々と飲んでいるか、
楽しくカラオケを歌っているか、
また店の片隅にあった
ピンボールマシン(!!)で
遊んでいるか、という感じだった。

そこにまっちゃんが「あ〜ら〜、
あにき〜、お元気?」と挨拶してくれる。
そんな素敵な挨拶とは真逆に
まっちゃんはバレーボールに水泳に、と
スポーツマンで、本物の野郎系
ということもよく知られていた。

フレディ・マーキュリーが店に来た、
ということは巷で噂だけれど、
ちょうどその時のクイーンのライブを観ていて
その直後、その話を聞いて、
地団駄を踏んだ思い出もある。

うちの店に来てもらった時も
「あ〜ら〜、うちの店(九州男)が
足元にも及ばない素敵な店ね〜!!」
なんて言ってもらえた。

まっちゃんよりも、少しだけ
僕に年齢も近い(と言っても、結構上だったけれど)
当時店に入っていたマッチョなハジメさんとも
仲良くさせてもらっていたことは
昔、ここにも書かせてもらった。

今日のブログと少し被るけれど、
まさに10年前、九州男さんのことを
こんなふうに書いていたようだ。

http://bar-bridge.seesaa.net/article/302256390.html

まっちゃんのブログを見てみると、
亡くなる数日前まで、いかにも
まっちゃんらしい文章を書かれている。


まっちゃんがとりあえず店のことを整理し、
カツキ君にマスターとして譲り渡し、
自分がしたいことをどんどんやる、と
決めたのは、今の僕よりももう少し若かったようだ。

病気になられてからのことはわからないが、
ブログを読むと、楽しく元気で
やりたいことをやられているのがよくわかって
悲しくもあり、ちょっと嬉しくもなった。

上に書いたハジメさんの時もそうだったが、
まっちゃんの偉大さにはとても
及ばないけれど、自分なりの
素敵な店を作り続けなければ、心からそう思う。


ちなみに、九州男のカツキ君に寄ると、
まっちゃんの生前からの強い意向で
葬儀や偲ぶ会などはせず、
お店としては公式の発表もしない、
ということだったけれど、
ブログには書いて偲んでくださいとのことで
書かせてもらった。

まっちゃん、たくさんの笑顔と元気を
ありがとうございました。

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2022年08月26日

店のドアの重さ

昨夜、初めて来てくれた43歳の
爽やかで、いかにも誠実そうなマサヨシ君。
ここここ5年ほど付き合っている相手もおらず、
コロナになってから、アプリでも会わず、
2丁目にも久しぶりに来たと言う。

彼に限らずだけれど、初めて来てくれる人は
とにかく扉を開ける時には
とても緊張する、と言う。
その時のドアの重さたるや、と
みんなそう言いながら笑うけれど、
それは僕もよくわかる。

若い時など、数人で行く時でさえ、
誰が最初に扉を開けるか、
ジャンケンなどしたものだ。

近年は、僕も聞いたことがある店などしか
行かないし、まったく知らない店には
まず行くこともない。

それでも、ドアを開ける時に
緊張感がないと言えば、嘘になる。

昨夜、マサヨシ君が来てくれた時は、
まだお客さんがいなくて、
ゆっくり話しながら、それから
ポツリポツリと人が増える中、
3時間以上いてくれて、
なんとなく馴染んでもらえたようで良かった。

これは週末だと、なかなかそうはいかない。
知らない人に周りを囲まれ、
いてもたってもいられなくなることもあることもあり、
忙しければ、僕らスタッフも
どうすることも出来なかったりする。


そう言えば、うちのスタッフのトモと
先日話した時に、彼は人と話したり、
人前で何かをやる、というのは
常に緊張するタイプだそうだが、
初めての店に行く時など、
まったく緊張することはない、
そう言っていた。

それを思うと、ホント、それぞれだなあと思う。

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2022年03月03日

訃報

昨日、思わぬ訃報が飛び込んできた。

2丁目ならぬ、新宿5丁目で長く
ゲイバーを営んでいらっしゃった
「無らい」のマスター、ノリさんが
先月、お亡くなりになったとのことだ。

Unknown-1.jpeg

まだ、70代になられたばかりで、
このコロナ禍、体調を崩され、
何度か入退院を繰り返されていたようだった。

「無らい」は、六尺バーとして有名で
僕も若い頃、よく行かせてもらっていた。

六尺の締めかたなど、
まったくわからなかった僕が
友人に連れて行かれて、手ほどきを受け、
初の六尺を締めて、何だか妙に興奮したのが
若かったなあと懐かしく思い出される。

当初は毎日、六尺での営業だったような気もするけれど、
もう随分前から平服の営業や、六尺の営業日を
分けていた。

お店は靴を脱いで上がり、
店と言うよりは、友人宅に
お邪魔している感じで
とてもリラックスが出来た。

ノリさんは、淫靡なことだけではなく、
古い歌謡曲や、オペラやバレエ、そしてロックまで
多くの文化的なこともお好きで
店にはDVD、CDのみならずVHSテープまでもが
ところ狭しと置かれていた。

店を始めてからは、ほとんど
行けなくなってしまったけれど、
何度か周年の挨拶に行かせてもらったのと、
5、6年ほど前に「あんたの好きな
ロックのCDを友人から山ほどもらったから
取りにおいで」と声をかけてくれて
伺ったのが最期だった。

僕が店をオープンしてから、お客さんよりも
亡くなられるマスターのほうが
多いような気がする。
飲酒量も多く、生活時間帯の不規則さも
あるだろう。
そういう話を聞きながら、
自分も気をつけないと、と常々思うところだ。

いずれにしても、まだまだ元気で
いられるお歳だったのに、と思うと残念で
ならない。
ご冥福をお祈りします。

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2021年10月11日

僕が知らない若老けバーのこと

2丁目のとある若老けバーと言われるお店から
「もう少し若い人が好きなら、(と言っても、
うちの店はメインが30代、40代、
50代だけど。笑)
Bridgeに行ってみれば?」と
言われたと、初めてと言う
20代の二人が来てくれた。

二人のうちの一人、ハル君は、
太った50歳以上の人が好き、
というタイプで、彼は自分でも
「僕はれっきとした老け専です」と。

「もう少し若い人が好き」というトキオ君は、
自分より上なら良い、と言っていた。


僕自身、老け専バーや、若老けバーなどに
ほとんど行ったことがないので、
店に行っている人たちや雰囲気を
色々聞いてみた。
ってか、普通、お客さんに色々ゲイバーのことを
聞かれて、答えるのはこちらのはずなんだけど(笑)

そういうお店に来ている人の中で、
いわゆる年配者はおおかた、
細身の若い人のことを好きな
40代後半から70代までの中高年が
7割くらいらしい。

そういう人は、無理して
若作りをしているワケじゃなく、
ごくごく普通に通勤電車で見かけるような
おじさんたちが多いらしい。

そして残りの3割が、そういうタイプが
好きな20代、30代の若者が多数だそうだ。

たとえば、ちょっとガチムチの若いコで
年上が好きな人はいないの?と尋ねると
そういう人は「デブ専バー」や
「ガチムチバー」に行くんだと思うとのこと。

そして圧倒的に年配者は、細身の人よりも
恰幅が良い人のほうがモテるのだそうだ。

ただし、これは東京での傾向のようで、
地方都市に行くと、もう少し
色々な人がいるらしい。

なるほど。一度、勉強のために
行ってみなければ。。。

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2020年12月18日

たま霊園の伝説

昨日は、ヤスマサや、アツヒサと
80年代から90年代にノンケの間に
流行った「ノーパン喫茶」や
「ノーパンしゃぶしゃぶ」の話で爆笑した。

20代の若いノリオは
「なんですか?それ」
という感じだったけれど、
当時は今では考えられないほど
あけっ広げな風俗店が多くあった。

喫茶もしゃぶしゃぶも、両方女性が
ミニスカートでノーパン、
鏡ばりの床や、テーブルの下で
どんどん女声の下半身が映る、というのに
僕の職場でも盛り上がったりした。
ゲイの僕は何が面白いやら、と
不思議だったと言うと、
彼らも確かに、と答えていた。

そんな話の中で思い出したのが、
当時、新宿2丁目にあった「たま霊園」
(玉霊園か?ネット検索しても出てこない)
という風俗バー。

僕は後にも先にも、どこかの
おじさん(と言っても、今の僕よりも若い。笑)に
一度だけ連れて行ってもらったのだが、
ここが、若いホスト(ゲイだか
ノンケだか、わからないけれど)が、
パンイチや、ほぼ裸同然で
あらゆる芸をする。

それこそ、お尻の穴に色々なモノを入れたり、
自分のペニスをマドラー代わりにかき混ぜたり、
それは、そういうのが苦手な人にとっては
まったくの憤慨モノ。

しかし、今から何十年も前の
パワハラ、セクハラ何でもありの時代は
ストレート、ゲイ共に
こういうノリの店が多かった。

ひょっとすると、まだ地方の観光バーなどは
こういう傾向ってあるのかも知れない、
そんなふうに僕が言うと、
ヤスマサいわく
「このネット時代、地方でさえ、
そういう遊び心を持ったお店は
とっくに潰れていますよ」そう言った。

つくづく時代の変化を感じながら、
今さらながら、自分の年を思い知った(笑)

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2020年12月06日

それぞれの土曜日

3度目の時間短縮営業となって
2週目の土曜日。
東京はまたコロナ感染者の最高人数が
出てしまった。

それこそ、先週は2丁目を歩いている人たちは
まばらだったとも聞くし、うちの店も
本当に少なかった。

しかし、昨日は多くの元スタッフや
現スタッフが来てくれたことも手伝って、
有難いことに、夜の9時過ぎには
とっても賑わった。

その中には、明日、うちの六尺デイの
前にユニフォームの飲み会がある、というので
楽しみにしているケンタがいた。
その飲み会は月一度行われているらしく、
野球ユニフォームや、空手着、
建築現場の格好から、宅配便まで
さまざまで「脱がない」ということが前提らしい。
ビデオですぐ脱ぐモノがダメな僕は
ちょいと興味津々だった(笑)

さて、その後来てくれた元スタッフの中には、
とある大学のOB会というのがあり、
(その大学出身者、そしてその大学がある
土地に仕事で通うスタッフもいたりして)、
6、7人で集まって飲む、という
会があった帰りに寄ってくれた。

世代も、20代から50代まで
ほとんど同い年がいないようで
その世代、世代で、街の様子、
学校の様子などに変化があったり、
ずっと変化しない部分もあったり、と
耳を傾けているだけで楽しそうだった。

それにしても、なかなかいちげんのお客さんは
こういう時短営業の時には
来てもらえなかったりするだけに
常連のお客さんやスタッフたちには
本当に支えられているんだなあ、
つくづくそう思った。

あと週末を一週すれば、
またいつも通りの週末を迎えることが
出来る、そんなことを考えながらも
コロナがこれ以上、
広がらなければいいんだが。

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2020年10月06日

ガキ大将から優しいオヤジへ

昨夜は、とても久しぶりにDJのDAIが
顔を覗かせてくれた。

DAiはそれこそ、
多くのゲイの憧れの兄貴的存在で
ガチムチの王道だが、僕からすると
可愛いヤンチャ坊主のガキ大将という
イメージだった。

彼を最初に観たのは、それこそ
もう何十年も前に、バックドラフトというお店で
酔っ払っていた頃で、確かその頃DAIは
20代後半だったんだと思う。
うちの店がオープンしてほどなく、
「禁煙が楽で」とよく来てくれた。

そして、うちの一周年のパーティでは
今はなきA-ICHIや、KIICHI君と共に
今のアイソトープ(当時は非常口)で
DJをやってくれたのも良い思い出。

その後、個人的には飯を食べながら
恋愛相談や、仕事の相談に乗ったことも
あったけれど、僕の中ではまだまだ
若いと思っていたDAIも
50を過ぎていた、とはびっくりだ。

そして、ここ数年、仕事をリタイアして
2丁目のANEXから、アーティ・ファーティの
店長になった。
僕がうちの店を出したのもそうだったのかも知れないが、
多くの人からこれまた想像を絶する出来事だった。

そして昨日は、コロナ禍で、知り合ったという
彼氏を連れ来てくれたのだった。
あの眉間にシワを寄せたガキ大将は
すっかり優しく幸せなオヤジになっていた。

今は二人で飼っている柴犬と
過ごしているのが一番のストレス解消だそうだ。

なかなか賑やかな場所が苦手な僕だが、
たまにはDAIがエスコートしてくれる
アーティにでも出かけてみよう、そう思った。

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2020年09月13日

痴女丈から重い女までいろいろ

クドウちゃんと、ゴロウちゃんが
先週、「痴女丈ナイト」というモノがあって
盛り上がっていた、という話と
それとは別に、今日、「重い女ナイト」
というイベントがある、という話も出た。

いずれにしても「女」が付くゲイナイトだ。

「痴女丈」という言葉は、恥ずかしながら
僕は知らなかったけれど、
要は単なるハーパンではなく、
太腿もしっかり出るかなり短い丈のパンツの
ことらしく、この夏、ゲイの中で
ずいぶん流行っている言葉らしい。

「痴女」という言葉が入っているのが
イヤ、というクドウちゃんだが、
「エロいけれど、ちょっと貶めて言う、
というのがゲイっぽい。それがわからない?」
というゴロウちゃんだった。
とにかく、そんなモッコリ超短いパンツを
履いた若者たちがウジャウジャと集まっていたのが
先週だったらしい。

さすがに僕くらいの高齢者(笑)が履くと
ただの痛い親父になるので、絶対無理(爆)

そして「重い女ナイト」。

「重い」というのは体重かと思いきや、そうではなく
気持ちが重い(コワい)という意味らしい。
「痴女丈ナイト」の翌日に行われた
「軽い女ナイト」に反して
今夜行われるナイトなのだそうだ。

クドウちゃんは、好きな相手に
「おはよう」とLINEを送って昼までに返信がないと
もう終わり、と思ってしまうくらい落ち込む
というので、きっと自分はこの「重い女」に
入るのだ、と言っていた。

なるほど、そういう人たちが集うイベントっていうことか。

片やゴロウちゃんは、メール来ても
内容によっては、数日送らない派らしく、
それで好きだの、嫌いだのと勝手に
思い込まれるのはウザい、と。

僕は知人、友人問わず来たメールやLINEは
できるだけ早く返すタイプだけれど、
すぐ来ないからと言って、
イライラしたり、不安になったりはしないからなあ。

まあ、ここも人それぞれ、ということで。

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2017年06月28日

タックス・ノット35周年

僕がゲイバーに最初に行って、
もう35年ほどの年月が経つ。
最初の数年こそ色々な店を
さまよったりしていたが、
30数年前、やっと居心地が良い、
と思われる店を見つけた。
それがタックス・ノットだった。

今年の4月4日、タックス・ノットは
35年目を迎え、
先日の日曜日、そのパーティが行われた。

新宿2丁目界隈のゲイバー
(タックス・ノットは3丁目にあるけれど)の中で、
マスターが代替わりせずに、
35年以上やっている店は
一体何軒あるんだろう。

僕が想像するに、10軒、あるか、ないか
なんじゃないだろうか。


お店というのは、ゲイバーでなくとも、
色々な理由でクローズする。

そこに通った人たちは、そのたびに行き場をなくし、
もう二度と2丁目に行かなくなる人もいるだろうし、
他の店を探す人もいる。

つい先週も、僕がタックス・ノットに行く前に
行った店で知り合ったお客さんが27年前にオープンした
お店がマスターの体調不良でクローズした。

タックス・ノットのマスター、タックさんも、
共にオープンしたパートナーを亡くし、
自身も体調を壊されたこともあったけれど、
今はすこぶる元気に、店を開けてくれている。

何度もここに書いたように、
彼がいなければ、あの店がなければ、
僕はうちの店をオープンもしなかったし、
今の自分はなかった、そう思っている。
そう思うと、おめでたい、というのと同時に
感謝の気持ちでいっぱいなのだ。

タックス・ノットの35年を思うと、
今年やっと10年を迎えるうちの店は
まだ小学校さえ出ていないお子ちゃま。

その頃、二十歳だった人たちが55歳。
生まれたばかりの人たちはもう35歳。
それを考えただけでもすごい。

100人を超える懐かしい顔、新しい顔をゆっくりと
見させてもらいながら、
愛されていることの素晴らしさ、
それぞれが変化していること、
まったく変わらないことへの驚きなどを
強く感じた。

これからも、40周年、45周年と頑張ってもらいたい。
うちがこのあと、20周年などできるかは不明だけど(笑)

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2010年07月03日

永遠の兄貴

昨夜、初めて来てくれたお客さん二人は、僕よりも少しだけ年下。

色々話していたら、15年ほど前までは、

よくこの2丁目で飲んでいたらしいけれど、

ここのところ、すっかりご無沙汰。


縁遠くなった理由は、時代もお店も変わってしまったからだと言う。

何よりも大きい理由は、2丁目の兄貴的存在

一(はじめ)さんが亡くなってしまったことだったらしい。


一さんは、若かった僕にとっても、

本当に兄貴的存在だったし、本当にお世話になった。


彼を最初に見たのは、彼が九州男(2丁目の老舗)のスタッフだった時。

その後、男蔵(めんくら)、男’s(おっす)、V-Rock、龍、と

次々に多くのお店のマスターとして君臨した。


それぞれの店の名前から、野郎系、というイメージが強く、

チャーミングでハンサムなルックスに加えて、

当時はまわりにまったくいないほど、マッチョな体格だった。

歌舞伎やオペラなど芸術の知識にも長けていて

そのギャップが多くの人の憧れの気持ちを強くした。


九州から出て来た頃は、まったくゲイに興味がないノンケで、

工事現場で働いているところ、九州男のまっちゃん(マスター)に

声をかけられた、と聞いた。

その後、彼は九州男を手伝うようになる。


芸術のげの字も知らなかった彼を、そういう方向に引っ張ったのは

まっちゃんと、多くのお店のお客さんだったと言う。


その後、僕は国立競技場で一緒にトレーニングをしたり、

厨子マリーナのユーミンのライブに一緒に行ったりさせてもらった。

一さんは、誰に対しても、平等で、笑顔を絶やさず

接することを忘れなかった。


彼が亡くなって、もう13年もの月日が流れた。

僕はとっくに彼の年齢を過ぎてしまった。


僕が知る限り、新宿2丁目には、

彼のようなタイプのマスターはもういない。

もちろん、僕が彼のようになる術もない。

しかし、何らかの形で、彼のハートを

受け継いで行くことが出来れば。

そんな事をふと考えた金曜日の夜の営業だった。
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2009年05月15日

昔の新宿2丁目

先日、地方で宣伝をしてくれたと言う
ヤマセ君から聞いた、と
お客さんが、今日も一人、来ていただいた。


彼が学生の頃、新宿2丁目に来た頃は、
まだ赤線だったと言うから
ひょっとして、70近い方だったのかも知れない。


その頃あったゲイ・バーの半数近くは、観光バー
(いわゆるストレート相手の女装バー)で、
それ以外は、クラシックやジャズの話に、
熱い恋愛話、そして下半身の話も交えて、
多いに盛り上がったりしていた、と言う。


今も同様の話題もありますが、と言うと、
「当時はもっと密やかで、隠れた淫靡さがあった。
良くも、悪くも、今ほどあけっぴろげじゃない」と言われた。
なるほど。


僕が初めて街に出た25年とちょっと前
(それでも十分古い話だけれど)は、
さほど今と変わらないような気もするけれど、
確かに今よりも、もう少し淫靡さがあり、
平日でも押すな、押すなの大賑わい、というお店もあったことは事実。


そんな話を聞きながら、

ウィキペディアで「赤線」そして「新宿二丁目」と
色々調べてみると、なかなか興味深い話も書いてある。


それを読んでみると、僕が街に出だした頃は

「薔薇族」「アドン」「さぶ」などの雑誌が
積極的に2丁目をとりあげだし、
「新宿二丁目」=「ゲイタウン」という図式が
出来上がった頃であることを改めて気が付く。


淫靡さがどんどん失われていき、
比較的健全な街へと変貌しつつある
この街を憂うのか、喜ぶべきなのか。

そして、人に因っては、このネット時代、
新宿二丁目が果たした役割は終わった、
とも言っている。


考えかたは、それぞれだけど、いずれにしても、
僕に課せられた課題は、独自のスタイルで、
この2000年代のバーを
作っていくことなんだろうなあ・・・。
そんなことをふと考えさせてもらえた一夜だった。
posted by みつあき at 05:34| Comment(0) | 新宿2丁目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする