2020年08月12日

映画から思い出した中国の友人のこと

昨今、アメリカとの確執や、香港問題で
注目されている中国。

だからと言うワケじゃないけれど、
昨日、暑い中、8時間半という長さの
「死霊魂」という中国人監督ワン・ビンが
撮った映画を少し早起きして観に行った。

タイトルだけ聞くと、ホラーかと
思う人も多いだろうけれど、
(それほど長時間のホラーとか怖すぎ。笑)

1950年代後半に、中国共産党から
「自由な発言を歓迎」という「百家争鳴」という
キャンペーンがあった。
国や社会の少し気になることを
言っただけで、「右派」と呼ばれ、
収容所に送られた55万人。
この映画は、その収容所から
生存できた10%ほどの人の証言を
集め、また現地が今で亡くなった多くの
人骨などを追ったドキュメンタリー映画。
本当に凄い映画。

国家とは、思想とは、死生観とは、
そして尊厳とはなんだろうか。
そんなことを深く考えさせられた
本当に素晴らしい実録だったけれど、
この映画を観ながら、僕は
もう何十年も前に出会い、今は
オーストラリアで暮らしている
一人の中国人の友人のことを思い出した。


僕とほぼ同い年のチョウは、
中国上海からそれほど遠くない都市で
それなりの裕福な家庭で生まれ育った。
彼が多感な時期を過ごした少年時代から
始まった文化大革命。

この文革の中、彼のお父さんが
ロシア語を勉強していたことが理由で、
彼は中学、高校時代、田舎の村に送られた。

いわゆる、エリート層を農家に入れて
行われた「再教育」だ。

当時の中国でも、かなり良い暮らしをしていた
彼がいきなり牛小屋で寝ることになり、
目が覚めたら真横に牛の顔があったのが
ものすごい恐怖だったと言っていた。

彼はその数年の間で、完璧に毛沢東思想を受け、
共産党員となり、配属されたのが
上海のテレビ局だった。

ルックスも良く、身体もしっかりしているチョウは
そこで最初、俳優をやったそうだ。
毛沢東が死去して、文革が終わった彼が
二十歳を越えた頃、ニュースキャスターへと転身。
彼は多くの人に知られた顔になっていたらしい。

しかし、彼はその局に入ったおかげで、
西側諸国のあまりにも自由な生活、雰囲気を知り、
単身で日本に亡命することにした。

まだ少数の中国人しか来日出来なかった
80年代初頭、上海空港から飛行機が出た瞬間、
彼は泣きに泣いたらしいけれど、
それは故郷を離れる辛さではなく、
共産主義との別れという歓喜の涙だったと言う。

まだ2丁目に出たばかりの僕が
チョウと出会ったのは、当時、
昼間は八百屋を手伝っている彼が
夜、バイトをしていたゲイバーだった。

彼の運命は、このあとまた大きく動いていくのだが、
長くなりそうなので、この続きはまた明日。


今日から土曜日までは、15時オープン、
22時までです。お盆営業で、お待ちしております。

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2020年05月13日

政治理念と友情

高校時代に同じクラブ、同じ寮から
その後、同じ下宿屋で生活を共にし、
加えて僕と同じ関西出身だった
一人の友人がいた。

彼は大学を卒業し、教師の道を選び、
僕は映像の世界へ入った。

それから何十年か経ち、
僕が店をオープンして数年経過した
今から4年ほど前に
久しぶりに電話で話をした。

彼は長い間、アルコール中毒と
鬱病に苦しみ、やっと立ち直った、
そう、言っていた。
加えて、僕と同様、胃癌手術もしていた。

彼の色々な話を聞きながら、僕も
自分が同性愛者であることをカミングアウトし、
ゲイバーをやっていることも伝えた。
少しばかり長い電話の中で、
お互いに色々大変だったんだなあ、
そう笑い合った。

彼が、僕がゲイであることを
すんなりと受け入れてくれたことは
とても嬉しかった。


それからまもなく、他の何人かの同級生と同様、
彼はSNSをはじめた。
そこで、お互いの生活を垣間見ることも
出来るようになった。


しかし、ここ数年、彼はSNS上で
激しく政治的なアピールをするようになった。

彼の政治理念や、思想に対しては
昔からわかっていた。

政治観に関しては、人それぞれであり、
どんな理念を持っていても、
僕はそれで、人を判断しないようにしている。

ストレートやゲイがいるように、
考え方は人それぞれだし、
その人の良し悪しや、僕の好き嫌いは
政治的観点とはまた違ったりする。


しかし、彼の文章はどんどん過激になり、
政治家だけではなく、
それに追従する個人に対しても
とても口汚く攻撃をするようになった。

なんとも言えない気持ちになり、
僕は彼に久しぶりにメールを送った。

彼が何を伝えたいか、という気持ちは
それは、それで理解できる。
しかしながら、子供じみた誹謗中傷や
便所の落書きのような書きなぐり、
決して冷静ではないその文章は
少し考えたほうが良いのではないか。

もっと正面から、自分の信念を
紳士的にしっかりと訴えれば
良いことなのではないか、と。

ゲイである僕のことを受け入れ、
文学を愛し、教壇に立ち、増して
アルコール依存や鬱とも戦った彼が
何故、ここまで暴言を吐きつけなければ
いけないのか、僕にとっては不思議だったのだ。

彼からは僕のメールに対して
「過激になっていることは承知している。
今まで避けていたこともあって、残りの人生、
思いのままに吐露しようとしている。
こちらからは切るのもおかしいので、
切ってもらって構わない」
と、ある程度想像した通りの返事が来た。

思想や哲学の違い、それに対する違和感を
彼への思いや友情という気持ちで
受け入れたり、乗り越えていけるのだろうか。

このコロナという時代は
自分に色々な問いかけを投げかけてくる。

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2020年04月29日

電話で話すこと

長い間、うちにいると、いくら
やる事をしっかりと決めて、
それであっという間に時間が過ぎても、
結局はルーティンワークのようなモノに
なってしまう。

こんな時期だからこそなのか、
親しい友人から電話がかかってくると
ついつい長電話をしてしまったりする。

そんな中で、ほとんどプライベートで
会わなくなってしまった
旧友二人と久しぶりに会話をした。
数年会っていないと、
それぞれに驚くようなことがあることがわかった。

一人は知らないうちに、癌で入院し、
昨年、無事に退院していたこと。

もう一人は家業を継いでいたのだけれど、
今年になって畳むことにした、ということ。

昔はそれぞれと、2丁目に出て、
よく飲んだりしたのだが、
ちょっと連絡を取らなくなって数年の間に
そんな事が起こっていたのだ。

今回、そういう友人たちとやり取りをした中で、
日本に住むアメリカ人のロジャーから
電話があった時にとても不思議に思ったこと。
それは彼がかけてくる時は、
常にビデオ通話だということ。

思えば、多くのアメリカ映画を見ると、
大勢がビデオで顔を見合わせながら話していたりする。

まず、日本ではしないし、
僕自身もとても気恥ずかしかったりする。

みんな、自分がどういう格好で
(女性なら化粧しているとかしていないとか)
またどういう場所にいるか、ということを
知られたくないものだったりする。

外国人は、それほど気にしないのか。
それとも顔を見ながら話さないと気がすまないのか。
ちょっと不思議な気がした。

ともあれ、メールやLINEでは伝わらない
細かい事情やニュアンスが伝わる電話が
改めて大事であると思った。

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2020年03月08日

友人のブログ引っ越しの件

先週の土曜日は、店始まって以来の
静かな週末となってしまったので
昨日はどうだろうと不安だった。

でも、10時過ぎには満席で
うしろのベンチシートもいっぱいで
少しだけ安心した。

そんな中、昨日から始まった
映画「ジュディ」(これはまた時間があれば、
このブログで紹介する予定)を
観終わった友人のタダシが、
彼氏のカツ君を伴って
いつものように寄ってくれた。

このブログでは何度も書いているけれど、
タダシは、店をオープンする
ずっと前から顔見知りで
開店仕立てからは、
ものすごく親しくなった
とても大切な友人だ。

彼は7年ほど前から、
うちのリンクにあるように
「外苑前日記」という素敵なブログを
書いており、僕も数週間に一度、
まとめ読みをさせてもらう。

そこには、カツ君とのさりげない日常や、
僕とも共通する映画の紹介、
はたまた彼が人生の中で最も
大切にしている食生活などが綴られている。

そして何よりも数年前から
同性婚訴訟の原告として
カツ君と二人で国と闘っている様が
つぶさに書かれている。

ブログを読むと、彼の人と成りが
手に取るようによくわかり、
改めてリスペクト出来、
友人で良かったなあ、そうつくづく思う。

そんなタダシから、運営元が変わって
新しいところに引っ越しをした、と聞いた。

店に来て彼をよく知っている人も、
そしてこのブログの読者にも
また読んでもらいたいので
とりあえず、以下から入ってもらえれば、そう思う。

http://jingumae.nikita.jp/

ちなみにうちのホームページのリンクも
近日中には変わる予定。

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2019年11月22日

友達の境界線

昨夜、来てくれたアキヒコが
「少し前に、ツイッターに友人が
『知り合いがこんな事を言っていた。』と
書いていたんだけど、それが
自分のことだったんですよ。」と言った。

アキヒコが言っていることを
何かねじ曲げて書いたのか、と思いきや、
そうではなく、自分を「友人」として
ではなく、「知り合い」と
書いていたことに、ちょっと残念な
思いをした、ということだった。

その彼とは共に二人で旅行したり、
長年しっかりと付き合っていた親友なのに
「知り合い」と書かれていたことに
少しだけ傷ついたのだそうだ。

書いたほうも、
さほど大した気持ちじゃないことも
よくわかっているし、それで腹をたてたり、
憤ったりするほど若くはないけれど、
なんとなく寂しかったと言う。

これを聞いて、考え過ぎ、
デリケート過ぎ、という人も多いと思うだろう。
ただ、この話を聞いて、
昨今、「友人」の境界線が
曖昧になっているなあ、そう思った。

思えば、インターネットが出来てからなのか、
親友、友人、知り合い、というのが
どこから、どこまでなのか。

特に最近の若い人たちは
「親友」というような
言葉が気恥ずかしい、
という思いもあるだろうし、
そこまで友情を深めるということを
しないのかもしれない。

僕のように、バーなど経営していると
さらに複雑だ。
バーを開いて来てくれている
お客さんとの間で、友情は生まれるか。

思えば、僕が若い頃、年上のマスターを
友達だと思うのは、おこがましいと思っていた。
そう思うと、マスターはマスターなのかも
知れない。

まあ、カテゴリーなどどうでも良いと
言えば、良いのだけれど(笑)

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2019年11月18日

1年ぶりの会食

昨日は休みだったので、ほぼ1年ぶりに
親しい友人、タダシとカオリと
ちょっと早い忘年会をした。

去年のこともこのブログに書いたけれど、
1年経ち、40代中盤になるカオリは
あれからどんどん自分の力を蓄え、
また新たな決断をしたようだった。

バーを経営して7年。
去年から寿司を習いに行っていた彼女は
そこで知り合った若い実業家や、
何人かとタッグを組み、
来年早々、アメリカ、シアトルに
移り住み、寿司を教えると言う。

将来、住むと言っていたオランダは
とりあえず、ペンディングだけれど、
もちろん、その夢も実現したい、と言う。

またカオリがすごいのは、ここ3ヶ月ほど、
英語を習いに行っていて、その高額なのはともかく、
1日3時間ほどしなければならない予習、宿題があり、
それが非常に大変だということ。

彼女は仕事、そして習い事、打ち合わせ、
そして渡航準備の合間に、その3時間を
作っていくのだと言う。

僕もよく「時間に追われているように、
生き急いでいる」とか言われるけれど、
カオリの時間の作り方は半端じゃない。

タダシは、タダシで、ここにも何度か書いた
同性婚の原告として走り回った1年だったようだ。
とても時間も取られるし、精神的にも
大変だったようだが、充実していたと言う。

いずれにしても、二人とも自分の目標に向かって
着実に歩いているのが、頼もしかった。
それぞれ、世代が少しずつ違うけれど、
くだらない話で爆笑しながらも、
ポジティブなエネルギーを見習い、
刺激を受ける関係というのが良いなあと想う。

これから、こうして3人で会う、というのが
今度はいつになるか、わからない寂しさを
少し感じながらも、また、前に一緒だった
ニューヨークででも、会えればいいね、と
笑顔で別れた。

まだ暖かさが残る11月の日曜日の夜、
楽しく充実した1日だった。

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2019年09月28日

二人だけの同窓会

昨日から今日にかけての0時くらいに、
突然僕の携帯のLINEに
「行ってもいい?」と
高校時代の同級生
タマガワから連絡があった。

「もちろんだよ」と答えながらも、
ちょっとドギマギした。
島根県松江にあった高校の中で
東京に住む数少ない同級生だが、
一度同窓会的なモノがあった
17年ほど前に会った以来だ。

彼がどうして、僕が店をやっていることを
知っているのか、そしてゲイだということは
きちんと理解しているのか。

2丁目は初めてで、迷いながら来た、
というタマガワは僕と同様、
すっかりおっさんにはなっていたものの、
Foo FightersのTシャツなんかを来て
まあ、若作りしていた。

0時は過ぎて満員の店内。
お客さんに手伝ってもらいながらも、
二人でゆっくりと昔話や、今の話に
花が咲く。

寮生活をしていた僕と、
松江市内から学校に通っているタマガワとは
環境がとても違っていた。

圧倒的に寮生が多い中、
アウェイだったタマガワだったが、
当時、僕が知らないジャズ喫茶や、
フォークのライブハウスに
連れて行ってくれたりした。

インターネットや携帯はもちろん、
ビデオもヘッドフォンステレオも
便利なモノはほとんどなかった時代。

友人たちとの連絡方法は、公衆電話か
会った時だけ。あとは手紙(笑)。
本とレコードと雑音がたくさん入るラジオ、
そして高視聴率を争っていたテレビ、
という時代だ。

便利ではない分、楽しかったけれど、
数十年の時間を乗り越えさせてくれたのは
ネットやスマホだから、本当に有難い。

何よりも、自分がゲイであることも
まだまだ受け入れられずに、
増してカミングアウトなんて、
想像もしていなかった時代だ。

映画館がひとつしかない町。
そこから東京に出るのが、
どれだけ楽しみだったか。

大学になって、ほぼ会わなくなったけれど、
その間、僕やタマガワは、他の同級生とは
ちょっと違って、東京の多くの映画館や
ライブハウスに通っていたということ、
まさに同じような学生生活を
送っていたことは昨夜わかった。

「俺は昔からまったく
ゲイの人たちに偏見もなかった。
だから、ネットでお前を観た時に
そうなんだ、と思っただけで
むしろ早く会いたい、そう思った。」
タマガワはそう言った。

僕が店を持ったことで、
ゲイのお客さんだけではなく、
こうして、学生時代の友人や
前の仕事仲間と再会できることが出来る。
そんな幸福を改めて噛みしめられた一夜だった。

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2019年08月09日

旧友との再会

昨日、店に入る前に、
いつものようにジムに寄り、
帰りにロッカーで着替えていると、
古い友人のセイジとばったり会った。

セイジとは5歳違い(彼のほうが少し若い)で
もう30年以上前にジムで知り合い、
5年間ほど、ほぼ毎日ジムの帰りに
食事に行ったりしたものだ。
まだ、ネットも携帯電話も
なかった時代だ。

当時、僕が付き合っていた相手と
彼の付き合っていた相手と一緒に
バリ島に行ったこともあったし、
その後、ニューヨークで
待ち合わせをしたこともあった。

お互いに仕事が忙しくなり、
特に何があったというワケでもなく、
会わなくなって気がつけば
すごい時間が経っていた。
ゲイの友人との間では
よくある話だ。


僕の店をオープンすることは連絡をし、
最初の年に何度か来てくれることは
あったけれど、もともとあまりお酒を
飲むこともない彼だったので、
それから10年近く会っていなかった。

数年前に風の便りで、
そんなセイジが体調を壊していた、
ということを聞いた。
驚いて、すぐにメールをすると、
「なんとか大丈夫です」という
返事をもらった。

そんなワケで、昨日、顔を合わせたのは
本当に久しぶりだった。
彼の病気は、膀胱ガンだったこと、
手術でなんとか治ったことを聞いたけれど、
とりあえず元気そうでホッとした。

あとは、互いに知っている
知り合いの近況を語り合った。
ほんの10分ほどの立ち話だったけれど、
会えてとても嬉しかった。
近いうちに一度ゆっくり食事でもしよう、
そう言って別れた。

それにしても、あの時期、
本当に毎日のように一緒にいたことが
嘘のような気もする。
ずいぶん距離が出来た気持ちもあれば、
とっても懐かしい気持ちもある。
そして、こういう再会こそが
やっぱり意味があるのだなあ、
そんなふうに確信した夏の1日だった。

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2019年07月24日

友人の自宅復帰

僕にはもう30年以上になる
サチオという友人がいる。

彼はその昔、バーで知り合った彼は
僕よりも7歳ほど年下だったが、
頭のてっぺんから出す高音の喋りと
オペラやクラシックや
ミュージカル好きなところが
気に入って、仲良くなった。

知り合って何年かが経ち、
一緒にニューヨークに行き、
ミュージカル三昧したこともあった。

彼はその後、東京から大阪、
そして実家がある広島へ帰り、
そこで仕事に就いていた。

大阪へ行っても、広島に帰っても、
月に数度は、メールのやり取りをし、
近況報告や、最近の舞台事情などを
こと細かに連絡し合っていた。

しかし、今年の1月。
いつもなら、すぐに返信が来るメールが途絶え、
2月になって、もう一度連絡しても返信がなく、
非常に心配をしていた。

何度か電話をしても、
出なかったのだけれど、
3月のある日、お母さんが電話に出られた。

1月の10日過ぎに会社で倒れ、
入院中である、今は意識もある、
ということを知ったけれど、
その時はそれ以上、
聞くことが出来なかった。

意識があるのに、何故メールを打てないのか、
心配は募るばかりだったが、
少なくとも健在であることは
本当に嬉しかった。

5月になり、彼と彼のご家族宛に手紙を書いたら
彼自身から返事がきた。
その手紙には「今、病院でリハビリ中です。
元気になれれば、と思います。」
非常に短いけれど、
しっかりとした字が書かれていた。

それから2ヶ月。
つい一昨日、共通の友人がまったく知らずに
久しぶりに電話をしたら、
「つい最近、退院した」とのこと。
でも、それしか話せなかったと言う。

あまりこちらから連絡をしても、
そう思いながら、また手紙でも書こうと
思っていた矢先に、
サチオのお母様から
今日、電話がかかってきた。

彼は脳出血で会社で倒れ、
その周りに誰もいなかったため、
病院に搬送されるのが遅くなってしまったそうだった。

結果的にひと月ほど、まったく
意識が戻らない状態だったが、
その後、彼の頑張りもあり、
少しずつ意識を取り戻したと言う。
しかし、半身が付随で、
脳の状態も前とは違うけれど、
とりあず、今月の18日に
退院することが出来たようだった。

サチオが変わりたいと言ってくれたので、
二人で話をした。
「俺のこと、わかる?」
そう尋ねると、「もちろん」とサチオは答えた。

「あまり元気じゃないけれど、退院が出来た。
でも、頭が小学生くらいしか働かない。
僕ってついていないんだ。」
そう言った。

「古い記憶がまだらのようなんだ。
今週にもメガネ屋でメガネが出来るので
それが出来たら、メールも読めると思う。」

ひと言、ひと言がとってもたどたどしかったし、
あれだけ高い声だったのが、
少しばかり低かったけれど、
サチオは紛れもなくサチオだった。

これから彼がどういうふうに
元気になっていくのか。
前のような状態に戻ることが
出来るのか。
僕にはわからない。


思えば、彼が最も観たいと言っていた
グレン・クローズ主演の
「サンセット大通り」を
彼の帰国する前日に
チケットを取ったにも関わらず、
機会の故障で開演出来ず、結局彼だけ
観ることが出来なかったことを
思い出した。
その時も言っていた「僕ってついていないんだ」と。

軽はずみに勝手なことは言えないけれど、
そういう状態で倒れ、でも半年後に
自宅に戻り、こうして電話で話せたこと。
それは、決して彼が「ついていない」
ということじゃないんじゃないか。
そんなふうに思った。

命を落とすことなく
自宅にまで復帰できたことを喜び、
近いうちに顔を見に行こう、そう思った。

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2019年07月14日

恋愛から友情へ

一昨日、店のオープン前に
ちょっと寄った他店で、久しぶりに
友人のショウタと会った。

また、同じ日の遅い時間に、
店にアキオが来てくれた。

ショウタとアキオは、3年前のうちの
周年パーティで知り合った。
僕は二人とも、店をやる前からの
かなり親しい友人でもあったので、
まさかその時が初めての出会いとは
知らなかったが、とにかく二人は意気投合。
すぐに付き合いだした。

40代半ばのアキオと50代を超える
ショウタは、これが最後の恋かなと
言っていた。
ありとあらゆるところに
二人でデートに出かけ、
その帰りにうちの店に
寄ってくれたりもした。

しかし、残念ながらそれから1年後に
二人は別れてしまった。

その時にショウタから聞いたのは、
これからもずっと良い友人でいよう、と。
そのほうが、二人にとって
さらに良い関係作りが作ることが出来るから、
どちらからともなく言い出した、
ということだった。

そして、一昨日も、それぞれから
先月、二人で旅行に行ったこと、
アキオは自分自身のことを
ショウタに色々相談したりしていること、
などを聞いた。

過去、付き合った人とは
絶対に友人にはなれない、
そういう人はたくさんいる。

僕はここには何度か書いたけれど、
別れた人たちとは、ほぼ友人でいる。
しかし、少なくとも、何年も経過してから
そういう関係になることが出来た。

ショウタとアキオのように、
そんなに長い付き合いでもなかったのに、
別れてすぐに強い友情で
結ばれる、というのは珍しいけれど、
それはそれで素敵なことだなあ、
そう思った。

男同士の友達関係の映画もたくさんあるけれど、
僕が最も好きな友情を描いた映画は、
ベット・ミドラー主演の「フォーエバー・フレンズ」
(原題" Beaches")だ。

beaches-movie-poster.jpg

ショウタとアキオも、生涯、
この二人のような友情で結ばれていくのだろう。

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2019年07月12日

マーガレットの紹介で

昨夜、雨が降り続く中、一番に扉を
開けてくれたのは、2丁目の店に
初めて一人で来た、と言うススム君だった。
ススム君は、ノンケっぽさが光る36歳。

ここ10年ほど、色々アプリで人と
出会ったりするけれど、なかなか
うまく行かない、多くの人と同じように
そう言っていた。

そのあと、来てくれた他のお客さんも含めて
2時間ほど店にいてくれたけれど、
物怖じしないあの爽やかさなら
大丈夫だよね、と残ったお客さんと
話をしていた。


それはともかく、彼にうちの店を
どうやって知ったのか、と尋ねると
ドラッグのマーガレットに聞いて来てくれたと言う。
マーガレット!ちょっとの間、
会っていないけれど、とても嬉しく思った。

IMG_0793.jpeg

僕は、ドラッグ・クイーンやGOGOで
活躍している人をそれほど知っているワケではない。
増して、仲良くしているドラッグなんて
うちの店の周年を手伝ってくれたりしている
数人プラスアルファだ。

マーガレットとは、もう30年近く前に
バーで会い、古いミュージカル
映画の話で盛り上がったことがきっかけだった。
その後、二人で深夜のロイヤルホストで
何時間も話し込んだり、
もう一人の友人と、とある大晦日、
マーガレットの家で朝まで飲んだこともあった。
考えれば、六本木のゲイクラブに
行ったこともあったし、
店を始めてからも、
物凄く貴重でチケットが取れない
歌舞伎の公演に誘ったりしてくれた。

もちろん、この長い間に、彼は多くのメディアに
出演し、ドラッグクイーンのそれこそトップとして
存在するようになって久しい。

僕が店をやったこともあって、それほど
会えなくなったけれど、
彼が3年前にゲイカルチャーのモニュメント的存在として
オカマルトをオープンさせて、
多くのメディアにもとりあげられている。

上に書いたススム君は、友人に誘われ、
一緒にそのオカマルトさんに行き、
一人で行ける店、というので
マーガレットに勧められたということだった。

いずれにしても、ありがとう。
マーガレット。
また、僕も遊びに行かせてもらいます。

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2019年05月26日

野郎系かさわやか系か

いわゆるゲイにモテる、と言うのは
ガッチリムッチリしていて、
短髪でヒゲが生えていて、
と、わかり易さで、うんうんと
頷く人は多いと思う。

今日来ていたヨウスケ君 26歳の
大好きなタイプというのは、
まさにゲイど真ん中!と言う
それほど女性からモテないくらいの
ちょっとオヤジ臭い人らしい。

かたや、50歳に手が届く
サカタちゃんの好きなタイプは
スリムで綺麗な顔をしていて、
あまり野郎野臭くない、
いわゆる女性も大好きというタイプだ。

もちろんゲイの中で、この手の
さわやか青年タイプが好きな人も多い。

このヨウスケ君、サカタちゃんの二人は
アプリで知り合った友人同士。
当初、アプリ上では、ひょっとして
お互いが好きなタイプじゃないか、
そう思ってデートしたそうだ。

しかし、ヨウスケ君は
ガンガントレーニングして
ガチムチ兄貴にモテようとしているワケだし、
サカタちゃんも、素敵な若いコに
モテるために、できるだけジェントルに
なろうとしている紳士で
お互いにまったく違っていた。
むしろ真逆とも(笑)

IMG_9148.jpeg

でも、お互いに顔だけは
好きなタイプだと言う。
顔が良ければ、いいのに、と
僕は思うのだけれど、
物腰だとか、雰囲気だとか
それ自体も違うということらしい。

んで、お互いに好きなタイプの写真を
見せ合ったりして、うわ、あり得ないと
口々に騒ぐ。
年齢も親子ほど離れているのに、
仲良しだと言うのが本当にゲイらしい。

ここまで気が合うんだから、
付き合っちゃえばいいのに、と僕が言うと
「そんな簡単にはいかないのが
ゲイの恋愛です!」と口を揃えて言われた。
逆にストレートだったら、
お互いにそれでもいいと思ってゴールイン、
というのは全然ありなんだろうなとも思った。

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2019年05月02日

アタシアタシ詐欺に気を付けて!

昨夜は、いつも来てくれるたびに
爆笑が止まらないシュウゾウ、
タカヒサカップルと
その友人ナオヤ、ナオヤの
元彼ゴウが来てくれた。

そんな中、何かの拍子に
オレオレ詐欺の話題になった。
ゲイが年をとっても、自分の子供が
いなかったりするから、
本当に安心か?という話に。

そして、僕やシュウゾウが「ゲイの場合、
年寄りとか、息子とかではなく、
友人として『アタシ!アタシよ。わかる?』と
電話があったら『あ〜ら、ナオヤ?』とか
すぐに反応しちゃうんじゃないか」と。

確かにオネエ友だちが多いゲイとかは
「あら〜、アタシ、アタシ」と言われると
誰かと間違えて、
すぐに誰かの名前を言ってしまい、
口車に乗るのではないか、ということだ。

IMG_8988 2.jpeg

そんなひとしきり笑ったあと、
その話を、そのあとに来てくれたヤスヒサに話すと
「いや。実は僕の彼氏が、まさに
その手に合ったんですよ。」と言う。

オネエではなかったけれど、
突然「俺だよ」と電話があり、
ヤスヒサの彼が付き合った元彼だと思い、
その彼の名前を言い、相手がそうだと応えが。
事故に合ったから、
30万円貸してほしいと言われたのだとか。

彼はまだ老人と言うには若い50代だったが、
ついつい言われるがまま、
指定口座に振り込んでしまったのだそうだ。

本当に、すっかり元彼だと信じ込んでしまった
自分が情けない、とヤスヒサに言ったのだと言う。

「アタシアタシ詐欺」なのか
「オレオレ詐欺」なのかはともかく、
子供を持たないゲイやレズビアンでも
やっぱり用心しないといけない、
笑い話が、笑い話にならなかった深夜の話だった。

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2018年11月09日

昔の仲間とこれからの話

昨夜は映画にまつわる素敵な一夜だった。

そのひとつは、僕の前の仕事で
深く関わったAV監督のハセガワクニヒロが
何と、映画「クリムゾン・リバー」の
原作者であり、脚本家でもある
ジャン=クリストフ・グランジェを伴って
来てくれた。

IMG_7411.jpeg

共に来てくれた彼の通訳の女性、
彼にナンパされた、
という鰻屋さんで働く美女、
そして彼の本の資料集めとして
日本のSMクラブなどを紹介して回った
というフランス人男性、
それぞれがとってもユニークだった。

ジャンは、3回結婚していて、
そのすべてが美女揃いで、
現在は日本人のモデルと共に
エッフェル塔のすぐそばのアパルトメントに
住んでいるのだそうだ。

子供も全部で4人いるが、
その子供たちもモデルとして
活躍しているとか。

彼が原作の映画化はたくさんあるけれど、
やっぱり「クリムゾン・リバー」が
最も好きだと言っていて、
それは監督マチュー・カソヴィッツが
非常に良い仕事をしてくれた、と。

カソヴィッツと言えば、もちろん
その映画の監督もさることながら、
「アメリ」でヒロインの恋人役を
やったと言えば、知っている人も多いかも。

連れてきてくれたハセガワも
まだまだ新しい企画と共に
映画を制作中ということで
そこには旧知のスタッフの名前も
多く出る。
頼もしい限りだ。


そんなこんな話に色々と
華が咲いたのと入れ違いに来てくれたのが
僕が最初に映画の現場で
仕事をしていたモリイズミ夫妻だった。

今の若い人はまったく知らないだろう
鈴木清順、荒戸源次郎という
名監督たちの元で
仕事をしていた
まだ20代前半だった僕たち。

2年前に荒戸さんが
亡くなった葬儀のことは
当時のこのブログにも書いたけれど、
モリイズミとはそれ以来だった。
と言うか、その時に会ったのが
数十年ぶり。

彼ら夫婦は、荒戸さんが亡くなった翌年、
つまり昨年、最愛の娘を亡くし、
とても心配していたが、
今では彼女の住んでいたところに
居を移し、娘の愛犬と共に
暮らしているらしい。

娘さんの仏壇を、「ツィゴイネルワイゼン」や
「陽炎座」なども含めた美術をやっていた
タダさんが制作中で
夫婦共々、楽しみにしているとのこと。

色々な話を聞きながらも、
僕がこのバーをオープンして、
ほんのたまだけれど、
こうして昔に友人たちが
集えるところが出来て良かった、
そう思う。


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2018年09月10日

高校の同級生たち

昨夜、オープンするやいなや
22歳のゲイの男のコと、
ストレート男子2人、
女子3人、都合6人で店に来てくれた。

驚いたのが、それぞれにイケメン、美人揃い。
一瞬、どれがゲイでもレズビアンでも
おかしくないと思わせられる。

と言うか、ゲイのリョウマ君が
最もノンケっぽく見えてしまうのが
今どきだなあと思ったくらいだ。

彼らは高校の同級生だったらしいが、
大学に進学してから仲良くなり、
それぞれが今年から就職したようだが、
なんだかんだと集まっていると言い、
昨日はBBQの帰りだそうだ。

リョウマ君がゲイバーに
まったく来たことがない、ということで
みんなでGoogle検索したら
うちの店がヒットしたとのこと。

さて、このリョウマ君は、みんなにいつ頃、
どういうタイミングでカミングアウトしたの?
と尋ねると、全員が「いつだっけ?」
改めて聞かれるとわからないくらいに
あまりどうでもいい感じなのだ。

職場では別にそんな話にならないけれど、
聞かれたら「ゲイですよ〜」
って言うつもりです、と
このリョウマ君自身、くったくない。

その中で、美容師を始めたという女のコは
私なんか、周りゲイばっかりで
ストレートの男、探すの大変!と言うし、
それぞれがリョウマ君以外でも
ゲイの知り合いがいるとのこと。

笑ったのは、その中の二人の男女は
それぞれ彼氏、彼女が
いるらしいけれど、
みんなには会わせない、
会わせたくないとのこと。
「こんな連中が友達だって言われたら
誤解される」と爆笑する。

リョウマ君も去年初体験しただけで、
いまだに付き合ったことがないようだが、
「俺に彼氏ができたら、お前らに
真っ先に会わせてやるよ」と言うと
みんなが盛り上がる。

もちろん、こういう22歳ばかりではないだろうけれど、
それでも確実に時代は変化しているんだ、
と、つくづく思った。

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2018年09月07日

友人たちの近況

昨日も書いたけれど、
ここ数日、関西方面や北海道に住んだり、
実家がある友人、知人に
安否を確認するために連絡を取った。

それぞれの家族はともかく、
ちょっと連絡を取っていなかった
友人二人が大変な事になっていることを知る。


一人は関西に住む僕と同世代の友人で、
彼はここ数年、
アルコール中毒になって
苦しんでいるということだった。

昔から酒はよく飲んでいたが、
いつの頃からか家族や周りに
暴力をふるうようになり、
そのたびに落ち込む、という繰り返しが
続いていたのだそうだ。

それから何度か入退院を繰り返し、
ここ3年ほど酒を一滴も飲んでいないらしい。

今度、何人かで会おう、そう伝えたが
その時に周りが飲めば、絶対飲みたくなる。
そして1杯飲んだら、この数年の禁酒が
すべて台無しになると言う。

僕も含めて、飲まないようにするから
大丈夫だよ、とは伝えたけれど、
よく飲み、よく語った日々を
知っている彼にとって
酒なくして、旧友と会うのも、
またストレスのようだ。


もう一人は、まだ30代の友人。
彼はふた月ほど前に身体に異変を感じ、
色々な病院で検査を受けた結果、
ガンを宣告されたと言う。
入院してすぐに抗がん剤を使いはじめ、
多くの副作用に苦しんだようだった。

体格も良く、あれだけ元気だったのに
これには本当に驚いた。

最初はかなり落ち込んで、
何もやる気が起きなかったらしいけれど、
少しずつ前向きになってきているとのこと。

それにしても僕よりもふた回りも下。
店を始める前からの知り合いで
その当時はまだ20代そこそこだった。
ガンになるには、若過ぎる。

ただ、二人に共通して良かったと思えるのは
ずっとそばにいてくれるパートナーがいる、
ということだった。

メールやLINEのやり取りでわかった
彼らの状況。

SNSなどで動向がわかっている友人や知人は
ともかく、それらをやっていない知り合いは
ふと気がつくと何年も連絡しなかったりする。

せめて数ヶ月に一度は連絡を入れよう。
そう思った1日だった。


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2018年08月11日

忘れじの仲間たち

僕の高校時代の話は、
このブログでも何度か書いたが、
つい先日、剣道部での仲良しだった
4人の中の一人、
シゲと15年ぶりくらいに会った。
シゲの妹も一緒だった。

僕の通っていた高校は、ほぼ寮生活で
4人は何かと集っては、遊んでいた。
とは言っても、ネットはおろか、ゲームも
ビデオも、ヘッドフォンステレオもない時代。

そして、当時国交断絶状態だった台湾へ
修学旅行に行ったのは懐かしい思い出だ。
当時、3泊4日くらいだったんじゃないかと思う。

その中で、僕ら学生たちは
教師の目を盗んで、
それぞれの行動をとっていた。

4人もそれぞれだった。
校内にガールフレンドがいたツネは、
なんだかんだ言って彼女と一緒だったし、
やんちゃだったマサは、
こっそりと勧められた売春ツアーに行った。
(彼に限らず、それに参加した多くの学生は
その後、学校にバレて、罰則を受けた)

また、シゲと僕は当時姉妹校だった
学校の学生たちと
ワイワイと騒ぎ、シゲはその中にいた美少女に
恋をしたようだった。

ちなみに、僕はと言えば、
やはり台湾のイケメン学生に
少し目を奪われながらも、
もう一人の女のコとデートまがいなことをした。

その後、それぞれが大学に進んだ。
ツネはその後、同級生の彼女と別れた。
その数年後、若くして彼女は病死した。

マサはシゲの妹と付き合いだしたけれど、
結果的にはうまくいかずに、
別れてしまった。

シゲは大学を卒業して、台湾の美少女に
会いに行ったものの、堅物の彼は
何も出来ずに帰って来た、と言っていた。

20代後半で僕以外の3人は、
それぞれ思いを寄せた別の人と結婚をした。

北海道にいるシゲ、
和歌山にいるマサ、
栃木にいるツネ、
そして東京にいる僕。

この何十年かの間に、
それぞれと数回会ったが
少なくとも店を始めてから会っておらず、
たまにメールでやり取りをするマサには
カミングアウトしたものの、
他の二人は出来ずにいた。

さて、東京に来たシゲと妹だったが、
シゲの身には、
この5年くらいの間で驚くことがあった。

彼は10年近く前に前の奥さんと
離婚をしたのだが、
なんとその後、再婚したのが、
あの台湾の美少女だったのだ。

離婚後、ネットでシゲのことを探し出し、
何十年も超えた恋は身を結んだらしい。
ひょんな事から彼女は
僕のFacebookも見つけ、
シゲは彼女経由で
僕がゲイであることも知ったと言う。

お酒を酌み交わし、
楽しくなったシゲと僕は
マサに電話をし、
シゲの妹とマサも別れて以来、
初めて電話で話した。

それからツネにも連絡して、
今年の秋から来年春にかけて、
4人で必ず会おうと約束をした。

これが実現すると、4人で会うのは
高校時代以来となる。

それも僕らが青春時代を過ごした松江で。
それまでそれぞれが元気で
いられればいいのだけれど。

また、ひとつ楽しみが増えた。
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2018年08月03日

親友と娘の来店

僕がニューヨークに行くと、
必ず会う親友のミキオが
養子として育てている娘リリーを連れて
日本に帰国。日曜日に来てくれた。

うちの店に入る前に、
彼らをとりまく昔からの友人たち
8人が集い、みんなで食事をして、
そのあと、みんなで店に寄ってくれた。

食事会に参加できなかった4人は
店で待っており、いずれにしても
30年近く日本を離れているにも関わらず、
これだけみんなに愛されているミキオは
凄いなあと思った次第。

それでも来られなかった人たちも
まだまだいた。

1年半前の秋、ミキオが同性婚した
パートナーのジョンは
病気で倒れ、そのまま急死をしてしまった。
突然のミキオからの連絡で、
あまりに驚いたのを
まだ昨日のことのように覚えている。

つい前日まで、元気で
リリーを入りたての学校まで
送っていったり、迎えにいったり
してくれていたのがジョンだった。
そのひと月後、
ニューヨークで会ったミキオは
ただ、ただ泣くばかりだった。

その時に「何故、いつまでも泣いてるの」と
毅然としていたリリーは、今、9歳。
ミキオに聞くと、彼女が当時、「死」ということを
どう認識していたのかは、よくわからないと言う。

ただ、最近では「いつもダディの夢を見る。
だからずっと近くにいるから、安心」
リリーはそう言うのだそうだ。

社交的で明るいリリーは、
うちの店に来ても大人気で、
カウンターの中に入りたいと言い、
一瞬、お客さんたちのアイドルとなった。

僕と同世代のミキオがたった一人で
9歳の子を育てているのは
並大抵じゃない、そう思う。

娘のためなら命も投げ出す、
と言えるミキオを見て
自分の欲望だけに生きている自分が
少し劣等感にかられてしまう。

いずれにしても、
彼女が誰かと結婚するような日が来る時、
ニューヨークか、日本で
僕も参列出来ればなあ、そんなことを思った。

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2018年05月05日

感謝の1日

去年の5月4日に、
うちに初めて来てくれた、という
ソウタ、シンジロウ、アキオの3人が
「今日が1周年です!」と乾杯してくれた。

店では、友人の誕生日やら、
恋人同士のアニバーサリーやら、
もちろん、うちの店の周年やら
お祝いしてもらったりするけれど、
うちの店に来て、何周年、というのは
初めてだった。

何せ、彼らはうちの店がオープンした時は
まだ10代だったりするワケで。

そう思えば、つい昨日、来てくれた19歳のコ
(コーラだけで大人しくしていたけれど)なんかは、
うちが生まれた時には、まだ小学生。

とにかく、そういう話を聞くと、
まだまだ新参者、と思っていたうちの店も、
ある意味、中堅、というところに
差し掛かったことを実感。

まあ、いずれにしても、感謝大き一夜だった。
ありがとうございました。
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2018年03月22日

今年初の仙台

去年、癌を宣告された友人ヤスを訪ねて
初夏に何十年かぶりに、
仙台に行ったことはこのブログでも書いた。


その後、一人暮らしで
なかなか思うようにならない
ヤスは、施設に入ることになり、
夏に改めて見舞いに行った時は
まだまだ元気だった。

その時は若い頃の昔話だけではなく、
来たりくる将来の思いなどを話し、
まだまだやりたいことがたくさんある、
と話していて、逆に元気をもらったほどだった。

ただ、その後、秋口になり、
体調がすこぶる悪くなり、
入退院を繰り返していた矢先、
転んで足を骨折、
病気のこともあり、
足を切断するということになってしまった。

そこまでは本人と電話で話をしていたのだが、
それから数日後、出血多量で
意識不明になったと連絡があり、
11月に見舞った時には
うっすらと目はあくものの、
まったく動けず、
大きな声で語りかける僕の声も
聞こえているのかどうか、
ままならない感じだった。

正直、この時が最後の別れかも知れない。
僕はそう思った。

その後、意識はないものの、呼吸はしていて
なんとか命は持っていると妹さんから連絡があり、
今年になってすぐに改めて顔を見ようとしたところ、
インフルエンザの拡大もあり、
面会謝絶とのことだった。

この寒い1月、2月、
妹さんによると、ヤスは意識が微妙ながらも
ほんの少しずつ、体調を戻していっている
という話だった。

やっと面会も出来ると連絡があり、
一昨日に、会いに行くことにした。

ヤスの病室に入るやいなや、
なんと、ヤスは大きく僕のほうを見て、
ううっと唸り、何か聞き取れない言葉を発した。

僕は「俺だよ、わかる?」と声をかけると
「わかるよ、わかる」と
はっきりとヤスは言った。

そのあと、ヤスの部屋で撮った写真を
僕がスマホで見せると
うんうんと頷き、笑顔も見せた。
確実に僕のことも、前にヤスの家に行ったことも
彼には理解できていた。

それから1時間半ほど、ヤスの病室で
ヤスの顔を眺め、時には手を握り、
僕はヤスと話をした。

いや。ヤスが言っていることがほとんど
聞き取れないので、話をした、というのは
少し間違いなのかも知れない。

ただ、ところどころではっきりと聞こえるのは
「大丈夫?」という言葉だった。
これは東京から来た僕を案じてくれているのか、
それとも「俺は大丈夫だから、安心してくれ」
ということなのか。

彼の枕もとには、
彼の友人たち、妹さんなどが
持参したものだろう
ヤスが元気だった頃の
バンドでドラムやベースを奏でた時の写真や
CDが並べてあり、
いつでも見聞き出来るようになっていた。



いずれにしても、
末期ガンで余命を2年前に宣告され、
足を切断し、意識も失い、
一時期は植物状態になるのかもしれない、
そう思ったヤスの生命力の強さには
本当に驚き、頭が下がった。

東京は雨、という予報の一昨日、
晴れ渡る仙台の空のを窓から見ながら、
僕はまた近いうちに顔を見に訪れることを
約束をした。

少なくとも、年末のように、
これが最後かも、
などという愚かな僕の思いなど
ヤスの笑顔がすっかりと打ち消してくれた。

もう少し暖かくなって、また驚くほど
元気になってくれることを祈りながら
僕は仙台をあとにした。

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