2018年10月19日

博多の夜から

昨夜、ふらりと来てくれたのが
なんとつい3日前に、博多で会った
僕よりも5歳ほど年下の
タカオちゃんだった。

先日、長崎でのことはこのブログにも
2回に渡って書いた。
30年ぶりに会ったムラナカさんは
もう1日長崎でゆっくりすれば、と
言ってくれたけれど、
長崎、福岡へのチケットや
福岡から帰りの飛行機を取っていたため、
今回は博多に寄ることにした。

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博多は、前働いていた会社の社長が急死し、
その墓参りで、20年ほど前に、
一度だけ訪れたことがあった。
その時は、かなりバタバタで東京に帰り、
どこかに飲みに行くこともなかったので、
今回は東京で聞いた何軒かを
覗いてみることにした。

ただ、僕は東京でこういう店をやっていることを
伝えると、ついつい営業っぽくなってしまい、
店同士の会話になったりしてしまう。
よほど知っている店ではない限り、
普通のお客さんを装って飲むことが多い。

博多のゲイバーが集まっている地区、住吉は
住宅街にあって、それも新宿や大阪の堂山のように
軒並みゲイバー、ということではないので、
Mapを頼りに探さなければいけない。

一軒目のお店は、
まだオープン時間に近かったせいか
お客さんは少なかったけれど、
20年以上やっているという大先輩で、
引き出しの多いマスターの会話が
とっても面白かった。

そのあと、店のお客さんや友人から聞いた
有名なお店を探したが、なかなか見つからない。
そこで、何度かすれ違ったのが、
タカオちゃんだった。

3度目にすれ違った時に、
僕が彼にその店の名前を伝えると
「僕もそこに行こうとしていたんです。」と
彼も東京から出張で来ていることを知った。

二人でMapを頼りに探しても見つからない。
あとでわかったのだが、そのお店は看板がなく、
休みのため、シャッターが閉まっていたのだった。

そこから3軒。
店を始めてから、自分の店以外で
それも同世代の人と知り合ってハシゴをした、
というのは初めてだったかも知れない。

タカオちゃんは20年ほど一緒に住んでいる
パートナーがいて、
なかなかヤンチャなタカオちゃんと
その彼の関係など、
とても面白い話をたくさん聞いた。

そして、僕も最初は話さなかったのだが、
新宿でバーをやっている、ということを伝えた。

それがまさかその後、2日目に
来てくれるとはびっくりだし、
本当に嬉しく思った。

海外ばかりに行っていて、
なかなか国内旅行をしていない自分だが、
思いもよらない出会いや再会などが
あらゆる場所で待ち受けているのだと
新たな気持ちが湧いた。

博多のお店、タカオちゃん、ありがとう。

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2018年10月17日

長崎にて 30年ぶりの再会 その2

車を走らせて2時間。
海を見下ろせる高台にある中華料理屋で
ムラナカさんと会った。

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薄くなった髪を隠しているのか、
キャップを深々と被った
ムラナカさんだったが
30年前、僕が映画館で観た時の面影が
しっかりとある相変わらず良い男だった。

「久しぶり」
しっかりと握手をして、席につく時に
少し足を引きずっていることに気がついた。

尋ねると、ここ10年くらい
仕事で腰を痛めたこと、
加えて癌を患ったことなど
かなり体調に変化があったようだった。

食事は近所の人と
農作物を交換したりしたモノを食べ、
こうして外食することなど
本当に珍しいらしい。

PCもスマホも持たず、
人と連絡を取り合うのは、
ガラケーで電話とショートメールだけ。

こちらに戻って来て25年。
ゲイの人との交流は
まったくないのだそうだ。

親戚や前の職場、
近所付き合いなど
面倒なのじゃないかと聞いてみると、
とても充実しているし、それなりに楽しいよと
ムラナカさんらしい言葉が帰ってきた。

病気をしたりすると、みんな心配して
色々やってくれる分、
自分も少しでも力になることをやりたいのだと。

若い頃は、東京で恋愛やらセックスやら
男のことばかり考えていた時期もあるけれど、
こういう生活をしていると、
自分がゲイだということさえ
忘れてしまう。

なるほど。

僕も未だにストレートの連中との交流は
たっぷりあるけれど、
それはあくまでも僕がゲイであることを
知っている関係。

バーを経営し、
自分がゲイである事を
考えない日はない自分の暮らしとは
ずいぶん違う。

もちろん、そのどちらも
良し悪しはないけれど、
ムラナカさんのような生き方は
とってもシンプルだけど、
心から素敵だなあ、そう思った。

翌日、長崎市内の多くの
観光地に付き合ってくれ、
「坂を歩くのはなかなか辛いな」と
笑いながら歩いているムラナカさんを見ながら
この人と35年も前に出会った意味、
そしてこうして再会した意味を
改めて噛み締めた。

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2018年10月16日

長崎にて 30年ぶりの再会 その1

生まれて初めて長崎県に来た。
それも雲仙まで、
長崎空港から車を借りて約1時間半。
東シナ海に沈む夕日を見ながら
のんびりと運転する。

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今回、何故こちらに来たかと言うと、
僕が生まれて初めて
好きになったゲイの人と
30何年ぶりに会うことになったからだった。

ムラナカさんと僕は
僕が25歳、彼が32歳の頃に
新宿の映画館で出会った。

彼にはその頃、
もう10年付き合っている男がおり、
僕にも6年ほど付き合っている彼女がいた。

何度かお茶を飲んだりしながら。
たまに会おうと言われて
相手がいるのはお互い様だと
僕は承諾した。

生まれて初めてのゲイバーも
彼が連れて行ってくれた。
今は移転してしまい、マスターも
変わったが、当時あったそのお店は
現在のうちの店から歩いて30秒くらいの
ところにあった。

知り合って数ヶ月後、たまたま彼に
電話をかけた時、
彼のボーイフレンドが横にいることを察した。

それが想像以上にショックで、
初めてゲイの男性を好きになってしまっている
という気持ちに気がついた。

自分にも長く好きでいる彼女が
いながらにして、
この気持ちは何だろうと。

あまりに辛くて、
僕からもう会えない、そう言った。
二人でデートしたのは、
ほんの3、4ヶ月だったと思う。

それからの数年、
彼の連れて行ってくれた店で
知り合った友人たちと
彼とで食事をしたりという事はあった。

ムラナカさんは優しかったし、
いつも朗らかだった。

とは言え、何となく連絡もとらなくなり、
そのあと何年か経ってから、
彼が長崎の実家に帰ったことを
バーのマスターから聞いた。

「たぶん退屈しているから
電話でもしてやってよ」
そう言われて、久しぶりに声を聞いたのは
もう最初に会って、
15年くらい経ってからだった。

「もう、度田舎暮らしたい。
すっかりジジイの気分さ」
まだ40代後半でそんな事を言っていた。

それから数年に一度、お互いの様子を
電話、その後メールでやり取りをした。

そして、一昨年、彼の東京に
住むお姉さんの見舞いで
上京するので店に来る、
という連絡があった。
久しぶりに会うことは
楽しみにしていたものの、
当日、僕の母が他界し、
会うことは出来なかった。

それから2年。
今年、九州地方に台風が来たこの夏、
安否確認に電話をした際に
「また東京に来る予定はないの?」と尋ねると
「もう歳だし、ちょっと体調悪いので
たぶん、もう行けそうもない。」そう言われた。

30年も会っていないし、
それじゃ、長崎旅行も兼ねて、
僕が顔を覗きに行くよ、
そう応えたのだった。


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2018年06月30日

外国人と日本人

水曜日の飛行機で帰国したのだけれど、
成田に13時半に到着する予定が、
強風のため、着陸できず、
そこから羽田に向かった。

それはそれでラッキーと思いきや、
8割ほどのお客さんがアメリカ人も含む
外国人だったため、
また成田に戻る、戻らないとかで
羽田の機内に3時間ほど閉じ込められ、
結局、荷物を待ち、空港を出たのが18時も
過ぎた頃だった。

ずいぶん昔に、ギリシャに行った際に
パキスタンのカラチで
長時間待たされたことがあったが、
それ以来、ほぼ遅れたことがなかったので
久しぶりの出来事だった。


機内でとても興味深いと思うことがあった。
何かと言いたいことは言う、
とされるアメリカ人たち観光客だが、
特にクレームを出したり、
いつまで待たせるの?と怒るような人はおらず、
意外と呑気な感じでゲームをしたり、
お喋りをしたりしていた。

逆に日本人は、CAの人に
どうなっているのか、と
詰め寄る人や、
細かく聞いている人も多い。

たぶん、外国人というのは、
飛行機に限らず、
多くの交通機関の遅延などに
とっても慣れているということもあるのだろう。

思えば、NYの地下鉄など、
どういう事情で遅れても、
理由を細かく説明をすることもなければ、
謝罪もない。
客もまたか、仕方がないなあ、という感じだったりする。

日本であれば、それが交通機関自体の理由ではなく、
天候や災害であれ、平謝りしたり、
怒涛が飛び交ったりもする光景を
テレビなどでよく見る。

ただし、これは交通機関の遅れ、
ということに限ったことで、
他のことに対するクレームや伝え方は
アメリカ人を含む外国人のほうが強かったりすることも
当然あるだろう。
権利を主張する、ということに関しては
日本人はそれなりに尻込みしてしまう。

これは権利を主張する、ということとは
また少し違うことだけれど、
アメリカで、講演会などに行ったとする。
講演をする人と
お客さんとのティーチインをする場面に出くわすと
どんどん質問が飛ぶ。
と言うか、質問がそのうちに
ユーモアを交えた会話となり、
いわゆる意見交換がこれでもかと続く。

日本では意見交換どころか、
数人、手が上がるくらいだったりする。
それも、申し訳なさそうに。


外国から日本に帰国して、いつも思うのは
日本人は本当に他人をおもんばかる、
気にする、空気を読む国民なのだ、ということ。
常にきっちりとしようとしているし、
はみ出し者は嫌がられる。
嫌がられないように考えて行く。

電車や、レストランで友人や家族と
話すのはOKだが、携帯は遠慮しなければならない。
こんな国は世界で唯一だとも聞く。
これはとっても不思議だという外国人もいれば、
静かで素晴らしいと賞賛する人もいるようだ。

そんなことを考えると、この僕なんかは
日本人の中で最も日本人的なのかも知れない。
そう思う。

さすがに駅でクレームを出したりはしないけれど、
常に周りがどう感じるのか、それを気にしながら、
自分の行動を決めていったりする。

自分が受けてきたいわゆる日本人的教育が
非常に悪いかと言うと、そんなことはないと思う。

ただ、自分の感情を抑えながら、
個性を伸ばせない、ということは
多くの見識者が言うことだったりする。

どちらが良い、悪い、ということではない
そう思う。
いかに各々のバランスをうまく取りながら、
自分らしく生きていけるか、
ということなんだろう。

いつも考えることだけれど、
今回、特に考えてしまったことだった。

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2018年06月23日

ペルーで考えたこと

去年、恒例のニューヨーク旅行に、メキシコ、キューバ、
そしてブラジルに足を伸ばした。
そして今回、世界遺産としてここ10年ほど
多くの人が行きたいとしている
マチュピチュ(ペルー)に行くことにした。

数年前に、カンボジアのアンコールワットに
行った折、いわゆる秘境の地や
多少危ないとされるところは、
元気なうちに行ける時に行っておかなければ、
そう思ったのだ。
ただ、マチュピチュは、人気が出過ぎて、
人数制限を設けたり、ガイドと一緒にではないと
入れない、そういうことになったと言う。

結局、マチュピチュの入り口まで行けば、
ガイドをする人(特にスペイン語、英語圏用)は
たくさん客引きをしていたのだが、
日本を出る前などそんな事は知らなかった。
そして、今回、ペルーに入り、リマは別にして、
クスコ、マチュピチュのみ、ガイドをお願いする
ということにした。


リマ。
やはりリオやメキシコシティと共に、
物騒と言えば物騒、
バスには人が溢れんばかりだし、
ドアにぶら下がるように人が乗っていたり、
物売りがどんどんバスに入っていっては
出てくる。

東京、ロンドン、ニューヨーク、パリなどとは
まったく違う魅力を見せる南米の街。
まあ、そんなリマから飛行機から1時間20分かけて行くのがクスコ。

クスコは真っ青な空と、ひたすら坂の石畳に包まれた
標高3400メートル、という土地。
本やネットを見ると、高山病になった、
という人が少なからず半分かそれ以上いると聞く。
うちにいたマサヒロも頭痛が大変だったと言うし、
他のお客さんも何人も辛かったと聞いた。

かなり心して、あらゆるところに書いてあるように
大きくゆっくりと深呼吸を繰り返し、
出来る限り、ゆっくりと歩く。

クスコからガイドを務めてくれた
僕と同世代の女性、サチコさん。
歴史地区と言われるアルマス広場に面した教会や、
太陽神殿、サクサイワマン遺跡、マラスの塩田、モライ遺跡など
多くの場所に連れて行ってもらったが、
何が面白かったかと言うと、
彼女の生き方だった。


彼女は35年の前に、山岳部の女友達と
英字新聞の片隅の広告で見つけた
ペルーとアンデス山脈というのから
二人だけで日本をあとにしたらしい。

その当時は、日本政府からは
ペルーは「渡航禁止地域」なおかつ
「危険地帯」として位置付けられていたようだが、
彼女たちはまったくそんなことを
知るよしもなかったと言う。

マチュピチュの「マ」の字も、
まだ世間に晒されていなかった頃、
とにかく初めて訪れたクスコも
まったく観光地化されていなかったらしい。

そして半日かけて歩いて着いたのが
マチュピチュだったとのこと。
まだ世界遺産などになる前だったから
舗装されていない道と遺跡自体も
今ほど整理されていなかったようだ。

しかし、写真にも何も報道されていなかった
当時のマチュピチュ遺跡を目にした感動は
どう伝えたら良いか、わからない、
そうサチコさんは言った。

サチコさんは大層、クスコが気にいり、
そこに旅行に来ていた日本人男性と
「ここが生涯の土地」と心に決め、
結婚したのだそうだ。

当時は1日に一度だけ1時間流れるNHKのニュース放送を
ラジオの凄い雑音の中から周波数を合わせて聞いた。
日本のNHKのテレビが
観られるようになったのなんて
15年ほど前だったと言う。


ほとんどの人たちは穏やかで優しく
(確かにそうだった)、貧富の差が激しいため、
泥棒、スリ、置き引きはキリがない。
たぶん、クスコに住んでいる人たち100%が
泥棒に遭ったことはあるのだと言う。

買い物から帰って来たら、うちはもぬけの殻に
なっていた、なんて言うことは何度となくある。
それで落ち込んでいても仕方がなく、
みんな笑って過ごしているのだそうだ。

それから35年。子供さんたちはまだ学生だそうだが、
彼らはネットで日本のアニメやゲームに夢中。
たぶん、クスコでは、ほぼ日本と変わらないような
生活が出来ると言う。

泥棒はまだまだあとを絶たないようだ。
クスコでは、土壁の家屋のいたるところに
花びらや派手なマークとスペイン語の数文字が書かれている。
あれは何かと彼女に尋ねると、
支持政党を壁にかかげているのだそうだ。

ペルーは、共和国でかつてのフジモリ氏も含めた
国民が選んだ大統領が行政を行使するらしいが、
国民がストライキやデモに強く関心を持っているのは、
子供の頃から「何をどう考えるか」を教え、
授業の中で、自分の考えに基づいて、デモンストレーションを
する、ということが行われているらしい。

とは言え、犯罪と警察が結びついている、という認識は強く
ある意味、誰も警察を信じていない、
サチコさんはそう言っていた。

一度、買っていたペットの犬が突然いなくなり、
警察に届けを出しに行った際に、
見つけた人に賞金を出すか、と問われ、
出す、と答えた数時間後に
警察官が犬を連れて来た。
賞金は警察に手渡したのだと言う。
もちろん、賞金目当てで
警察が犬を連れて行っていたことは明白だった。

本当に日本では考えられないことが
次々と起こる。

警察官はあまりにも賃金が安く、
そのぶん、アルバイトをしている人たちも多いと言う。
だから汚職もはびこっていく。

これはいくらなんでも、と前大統領が
警察の賃金をあげたら、
その瞬間に「警察よりもずっと長時間働いている」
とする、教員がデモを始め、
今年の頭、3ヶ月間、授業がなかったとも言う。

そんなこんなで、常識では考えられないことや、
酷いことも多いけれど、自然の豊かさや
全良な人々が多く優しい、ということ、
そしてのんびりとした風土、
それはサチコさん家族が
「もう少しこちらで暮らしていたい」
そう思うことなのだそうだ。

日本に住んでいて、当然だと思っていること。
普通なら、と思うクセ。
ある意味、民意、という言葉の元に
多数意見が正しい、と思わざるを得ない社会。
これも、今回の旅で、
改めて学んだことだった。


マチュピチュの遺跡は本当に「天空の城」だった。
人気のワイナピチュには登れなかったけれど、
それよりもさらに高い3061メートルもの
マチュピチュ山に登った際には
途中何度も引き返そうかと思うほど辛かった。

山登りなどほとんどしたことがない僕が
一段、25cmにも30cmにもなる石段を
100段も200段も登っていくのだ。
道ゆく人とは笑顔で挨拶しながら、
突然の雨や強風、そして日差しの暑さなど
3時間の中で体験しながら、
それでも、いつものように、こういう経験が
人生であと、何度出来るだろう、そう思った。

あと数年、いや、10年くらいは、
多少過酷でもトライして行きたいものだ。

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