2019年12月18日

兄の電話から考えたこと

昨日、スウェーデンに
住む兄から電話があった。
彼は20代そこそこで、
何十カ国も一人で周り、
ストックホルムの大学で
中国哲学を学ぶという
ちょっと風変わりな人間だ。

兄からは、日本のAmazonで何かを
買ってくれないか、とか、
今、為替が良いから云々というような
連絡が半年に一度かかってきたりする(笑)。

そんな中で、彼の甥っ子は元気か
という話になった。
甥は、フィンランドの母親
(つまり兄の元奥さん)の元で育った。
あちらの大学でインド哲学
(親子共に変わっている)を学び、
インドで知り合った女性と共に
フィンランドで暮らしている。

最近、子供が出来て幸せに
すくすくと育っているらしい。
良いことだ。

スウェーデンや、フィンランドは、
兄と元奥さんや
甥カップルもそうだが、
結婚をしていない人たちが非常に多い。

結婚をしていようが、していまいが、
それが男女であろうが、同性であろうが、
当然のようにまったく関係なく、
子供を育てることが出来る。
その子供は両親であるどちらかの名前を
自由に持つことも出来、
もちろん関係なく国から補助が出る。

日本では相変わらず、
結婚制度というふうなモノに縛られ、
いつまでも「未婚の母」だとか
「出来ちゃった婚」という言葉が
メディアに走る。

つい最近まで婚外子には、
そうでない子供と同等の権利は与えられず、
いつまで経っても「あるべき家族像」のようなモノを
追いかけている国の姿勢には
ほとほと呆れてしまう。

甥が住むフィンランドでは、つい10日前に
34歳の女性首相が誕生し、
彼女の親はレズビアンカップルである。

こういう時代に、つい昨日発表された
ジェンダーギャップ指数(世界各国での
男女平等の度合いをランキングしたモノ)は
なんと去年よりも下がって、121位だそうだ。

やれやれ。
本当に、人権や平等というモノを
きちんと考えることが出来る国に
いつ日本はなることが出来るのだろうか。

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2019年11月26日

老いた親との対峙について

昨夜、一番最初に来てくれた
ゴウは40代半ば。

彼は父親を若い時に亡くした。
ゴウを含めて3人の子供を
育ててくれたお母さん。
彼女が近年、70代後半になって、
突然身体が弱ってきたと言う。

都内に住むゴウは
週末お母さんの顔を見るために
2時間半かかる自宅に戻るのが
もう1年近く続いている。

会う時だけでなく、日々話す電話でも、
母親はあらゆることで泣くのだそうだ。
勝気で若い頃は涙ひとつ見せなかったのに。

近くに住む他の兄弟への不満、
身体の痛み、老いることの不安、
前は出来たのに、
最近出来なくなってしまうことの辛さ、
そういうことから、どんどんうつ状態に
なっていく母親。

比較的近くにいる他の兄弟の家族と
一緒に住むことも、施設に入るのも
嫌だと言う。

子供の頃に接していたあの母親は
どこに行ったんだろう。
ゴウはそう思いながらも、
ほぼ多くの人が体験する
年老いた親との対峙の仕方に悩んでいる。

毎日、一緒にいてやれない悔しさと
少しずつ変化する母親の姿。
それは、僕もまったく同じだったことを、
つい昨日のことのように思い出す。

いつかその日が来た時に、
後悔もたくさんするだろうけれど、
それでもゴウは、自分が無理ない範囲で
出来ることをやるしかないのだろう、
ゴウの話を聞きながら、強くそう思った。

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2019年10月31日

カミングアウトの裏側で

昨夜は、ここ数ヶ月よく来てくれている
タカオ君37歳が、
数年前にカミングアウトした
という女性友達を連れて来てくれた。

大学時代4人の仲間と、その彼女と
旅行に行った先で、酒を飲みながら
タカオ君はカミングアウトしたのだそうだ。

それぞれに驚きながらも、
すんなり受け入れてくれた。

「私はかなり変わっているのかも
知れないけれど、まったく
なんとも思わなかった」
彼女は言っっていた。

離れた場所でそれを聞いていた
常連のトモタツが「僕は去年、親に
カミングアウトして、
親父は許さない」と大変だった。
そう言っていた。

最近、よく思うのは、友人はともかく
歳が離れた親や近親者にカミングアウトする、
というのは、かなりヘビーなこともある。

たとえば、我々が父親から
「実はお父さんはSMの女王様の母親から
夜ごと、縛られ、ムチ打たれて
喜んでいるのだ」と
カミングアウトされた場合、
どう思うか。
そのような衝撃ではないか、
そう考えたりする。

極端過ぎるかも知れないけれど、
そのような「突拍子もない、
決して聞きたくもない性的なこと」を
突然聞かされる、
というイメージこそ、
カミングアウトの恐ろしさでもあり、
大切さなのじゃないか、と。

僕も同様な道を渡ってきて、
やはりどうしてもカミングアウトする際には、
自分の大切な人(友人でも良い)を
きちんと会わせる、ということが
僕の中の最良なカミングアウトではないか。
そして、それでさえ、タイミングと
伝え方によって、ずいぶん変わってくるだろう
そう思う。

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2019年10月23日

妹との一日

昨日のブログにも書いたように、
神戸から妹がやって来た。
彼女が東京に来たのは、結婚するよりも
ずっと前、学生時代だった。

もちろん、その頃は僕も
カミングアウトしているどころか、
まだ自分をストレートだと思い込ませようとし、
彼女がいた頃で、その彼女と妹と
一緒に飲んだりしていた。

その後、妹とは彼女自身の結婚式、
そのあとは、父や母の容態が悪くなっていた時で、
そんな時間は主に、両親それぞれの体調や
病院、施設などの話が主だった。

そういった意味では、今回、これほど
ゆっくり色々な話が出来たのは
初めてだったのかも知れない。


僕と妹は7歳違う。
まして、僕は高校時代から寮生活をし、
家を離れていたため、
彼女が8歳くらいから、
一緒に暮らしたことはなかった。

それは、8歳年上で学生時代に
スウェーデンに行った兄も同様だった。

だから、うちの兄妹は年齢差だけでなく、
普通の兄妹とはちょっと違う。

仲がとても良いということでもなく、
逆に悪いということもない。
ほぼ喧嘩もしたことがないのだ。

「お兄ちゃんから、同性愛者だって
聞いても、私はまったく動じなかったし、
色々な人生がある、そしてみんな、
決して同じではない、そう思っていたの」
妹はそう言った。

それは、共に育っていなくても
うちの両親の教育方針がそうだったからかも
知れない。

妹は、自分の息子(つまり僕の甥)にも
うちの両親のように
「人を差別してはいけない。
人はみんな違うのが当たり前だから」
と、伝えてきたと言う。

ただ、15歳で家を離れた僕と、
結婚する27歳まで家にいた妹とは
両親の距離感も違い、関係性も違った
ということも、今回初めて理解した。

僕が父の死後、母を連れてたくさんの旅を
したこと、それは長く共に生活できなかった
埋め合わせだったような気もするし、
妹は逆に、年老いた母の生活全般を
ある意味、客観的に観ながら、
色々なことに注意を配っていた。

いずれにしても、この年齢になり、
妹と、パートナーも加えて
ゆっくりとお酒を飲める、というのは
良いものだ、つくづくとそう思った。

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2019年10月22日

店に妹、来たる

僕がBridgeをオープンした
2007年、その2月に父は他界した。
オープンの7ヶ月前だった。
店をやることを決意し、
まだその時は場所も含めて
何も決まっていなかった時だ。

父の死後、母は大阪から何度も
店を訪れてくれ、多くのお客さんたちと
話をしてくれた。

また、スウェーデンに住んでいる兄も、
帰国するたびに来てくれた。
このブログにも書いたけれど、
偶然、兄と高校の同級生だったうちのお客さんと
(これには本当に驚いた)
3人で食事をしたこともあった。

そして、先月、周年パーティをやる前に
7歳離れた妹から、東京に遊びに来たい、
そういう連絡があった。

東京に来る、ということは、
初めて我が家に泊まり、店にも来る、
ということだ。

僕はまったく大丈夫だが、ゲイの
友人などいないだろう妹が、
店の雰囲気に慣れるのか、どうなんだろうか。

もう随分、前になるけれど、
うちの母親が、妹の息子(つまり甥)に
僕のことをカミングアウトしようとした時に
「色々誤解もあるだろうから、しないでほしい」
そういうことを、妹は母に言ったと言う。

そんな甥が二十歳になった時に、
飲みに連れて行って
「今日、大切な話がある」と切り出した時に、
甥は「おじさん、ゲイっていうことだよね?」と
言われて、腰を抜かした。

過去、僕がAV関連の仕事をしていたことを
知った甥が、ネットを駆使して、僕の名前を検索し、
僕がゲイであること、店をやっていることを
知った、と言う。

父の葬儀の時には、甥は風邪をひいていたので
偶然、僕のパートナーと遭遇はしなかった。
しかし、その後、母の米寿の祝いや、葬儀では
兄夫婦や、妹夫婦、そして甥も含めて
パートナーとは分け隔てなく接してくれたのは
有り難かった。

昨日は、東京の友人と会ったあと、
妹は店にやってきた。
「場違いかなあ。」とか言いながらも、
旧スタッフのショウや、お客さんと
笑って話していると、うちのパートナーが
やってきて、話をし出した。

そう。母が死んだ4年前から初めてとなる。

二人は0時前まで店で
楽しそうに飲んで
僕たちの自宅へと帰って行った。
僕が店を閉める午前4時くらいに
彼から連絡があり、結局その時間まで
二人で色々と話をしていたらしい。

そもそも、まったくカミングアウトなんて
考えていなかった僕だが、
こんな流れになるとはホントに不思議だ。

まして、妹とパートナーが
二人で飲むなどとは、店を始める前でさえ
思っていなかっただけに、
不思議な気持ちがするが、
これで心置きなく、いつでも死ねるなあ
なんて、朝の片付けをしながらぼんやりと
考えたりしていた(笑)

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2019年09月27日

父親の秘密

一昨日から2日間に渡り、
「テイルズ・オブ・ザ・シティ」の話を
書いたばかりだけれど、
昨日来てくれたケンジ君の話は
まさか、あのテレビドラマの中で
描かれているようなサプライズ話だった。

39歳のケンジ君のお母さんが、
今年の初めに60歳という若さで
亡くなったそうだ。

残されたお父さんは65歳。
つい先日、お父さんと二人で
飲むことがあったらしいが、
その時にケンジ君は
「本当なら、嫁をとって、
お父さんを楽にさせてあげたら良いのだけれど、
僕はゲイなので、無理なんだ」と
カミングアウトした。

そうすると、お父さんは急に号泣し出し、
「実は自分も話さなければならない。」
そう言い出した。

なんとお父さんは、今の世の中で言うところの
トランスジェンダーだったのだと思う、と言う。
若い頃から、綺麗な女性になりたい、
いや、この男の姿は偽物だ、
ずっとそう思って生きてきたそうだ。

ケンジ君は、自分がゲイであることを
受け入れてくれた父親を
受け入れることのハードルの高さを
強く感じ、なんと自分勝手なのだ、と
自己嫌悪になったと言う。

お父さんは、トランスでも、
M to F レズビアン、つまり
女として女性を愛することが出来るそうだったから、
お母さんともうまく行ったのだそうだ。

お父さんは50代の時に、とある女装バーに行き、
初めて女装をした。
そこで、初めて自分が自分らしくあった、と。

もちろん、お母さんはお父さんの
本当の姿を知らずに亡くなった。
それは良かったのだと思っている、
お父さんはそう言った。

自分の若い頃は、完璧に
障害者だと思い、隠し続けて生きてきたが
今の世の中は変わり、良い時代になった、
お父さんはそう言った。

これからどう生きていくか、
まだ、わからない、そう言うお父さんに
ケンジ君は「好きに生きていきなよ。
俺も応援する。」

本当に色々な人生がある。

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2019年09月20日

ペット愛

タカヤ50歳は、店が始まる前から知っている
友人でもあり、お客さんだ。
彼は7年ほど前に、
うちの店に来てくれていたお客さん
ノブヤス32歳と付き合いだした。

付き合いだした当初は、
色々あったようで、
ひょっとしてうまくいかないのか、と
こちらが不安になったこともあった。

付き合って3年後くらいに
二人は同居し始めたものの、
お互いに転勤や何かで
離れ離れになったりも
していた時期もあった。

しかし、ここ2年、すっかり安定したようで、
去年から柴犬を飼いだした。

その様子は、タカヤのSNSでつぶさに
報告され、どれだけ二人が
ワンちゃんを愛しているか、が
よくわかった。

飼ったことはないけれど、犬好きの僕が
会いたい、と言いながらも、
なかなか会いに行くこともできない中、
先日、店に連れてきてくれた。

タカヤは、もともと人見知りで、
店に来ても、話す人がいないと
だいたい、携帯を見ている、という感じだったが、
まあ、その日は、ワンちゃんをみんなに
見せながら、色々と説明をする。

スペシャリストやトレーナーに
頼んでいたこともあり、
とっても大人しくていい子だった。

犬のおかげで、タカヤたちの関係も
とっても落ちついたものになっているようだ。

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2019年07月30日

彼氏と家族との間で

お客さんのセイジちゃんは、
ほぼ僕と同い年だが、
もう20年付き合っている彼がいる。
彼とは東京で一緒に住んで
そろそろ15年になる。

彼と出会うずっと前に、
彼の地元で結婚をし、
一人娘を設けたのが、もう35年も前。
その娘にも子供が二人出来た。

ちょうど一人目が生まれた時に、
うちの店の2年目くらいで
「おじいちゃんになったね」と
セイジちゃんの彼氏共々、
お祝いをしたりしたものだ。

セイジちゃんは地元で会社を作ったが、
その支店を東京に移し、
そこと地元を毎月、行き来している。

地元には、大きな家があり、
結婚していない二人の姉がいる。
ご両親が亡くなり、娘さんは離婚し、
実家に帰ってきたけれど、
その娘さんと、二人のお姉さんとそんなに
うまくはいっていない。

お姉さんたちも歳をとってきたり、
障害を持つ孫や、娘のこともあり、
近い将来、彼は地元に帰らなければならなくなる。

セイジちゃんは誰にも
カミングアウトしているワケではなく、
それを思うと、今の彼氏との家を出る決断を
せざるを得ない。

20年付き合った相手と別れる、という
選択肢はないけれど、かなりタイトな
決断をしなければならない、という
時期に来ているらしい。

彼の複雑な話を聞いて、
人には色々な事情があるのだ、と
改めて考えさせられた。

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2019年07月23日

叔父さんはゲイ?

いつもは恋人と来てくれる
アキヒコ君、22歳が
昨夜は一人でぶらりと来てくれた。

アキヒコ君は大学生で、比較的
うちの店から近い場所に住んでいる。
家賃も高いだろうし、何故、
こんな場所に?という聞いてみた。
お父さんの弟、つまり叔父さんが
新宿区に住んでいて、彼の口利きもあって、
このへんに住むことになったと言う。

アキヒコ君の叔父さんは、
もうそろそろ
50歳になる独身男性で、
一度も結婚したことはないし、
父親の話によると、女性の話を
聞いたこともない、とのことだ。

アキヒコ君は叔父さんと一緒に
住んでいるワケではないけれど、
新宿近辺というから
必ずしもゲイとは限らない。
ただ、たまに部屋に行くと、
とても簡素でほとんど荷物も何もなく、
物凄く綺麗に片付いているのだそうだ。

確かにインテリアなども含め、
女性の匂いはしない。

「ゲイの可能性、あるのかも知れないね」
と僕が尋ねると、
「そうですね。半々かなあ」とアキヒコ君。
逆にゲイじゃないだろう、と思う半分の
理由って何かと聞くと
一緒に食事に行ったりすると、
あまり気取った場所じゃなく、
普通の居酒屋に行くとのこと。

でも、ゲイだって、普通の居酒屋に行く人は
山ほどいるし、増して甥を連れて
そんなお洒落なレストランバーに
行くほうが不思議な気もする。

アキヒコ君いわく、
万が一、ゲイだった場合、
一緒に飲みに来たい、という思いもあれば、
子供の頃からずっと優しかった叔父さんという
イメージを壊したくない、という思いもあると言う。

叔父さん自身も、甥っ子がゲイであっても
カミングアウトしたい、とは
まったく考えていないかも知れない。

なるほど。
なんて言いながら、今まで
そんな偶然は山ほど見てきたし、
仮、にそうであっても驚かないけれど、
いずれにしても、叔父さんと仲が良い
というのが一番だなあ、そう思った。

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2019年07月11日

今はなき愛すべき定食屋

昨夜は、同世代のお客さんのサメオちゃんと
古い時代のウリ専とか、
リツ子(年上のお金持ちに甘える若者)とかの
話をしていた。
その昔は、男女の世界も
「お妾さんや二号さんという人たちが
主人にそれなりの世話をしてもらっていた。
当時の男はそのためにも
一生懸命働いたりしていたのだね」
という話になった。

それの良し悪しはともかく、
「お妾さん」で思い出したのが、
新宿2丁目の千鳥街の入り口の2階にあった
Pという定食屋。
もう20年くらい前の話だ。

全部で7席から8席ほどの
小さい店だけれど、その真下にある
料亭Gと同じ食材を使っていて
すこぶる美味しかった。

IMG_0791.jpg

↑あまり美味しそうに描けなかった(笑)


G店は一度座ると、2万から5万くらいする、
というお店で、昔からの常連客が
たくさんいらっしゃった。

Pで働くY子さん(当時60歳前後だったと思う)は、
Gの店主(たぶん70は超えられていた)のお妾さんだった。
Gの奥さん(彼女も70くらい)は
下の店で切り盛りしながら、
たまに休みに上にあがってきた。

かの時はホントによく喋るおばあちゃんで、
Y子さんとの二人の関係は
ものすごく良いワケでもなく、
かと言って悪いワケでもなく、
世代が違う僕たちには
ちょっと理解不能だった。

一時期は3人で一緒に
住まれていたこともあった、と聞く。

それを思うと、まさに時代だなあ、
そう思うけれど、
今、思い出すに、Y子さんは
それなりに辛いこともたくさん
あったと思うけれど、
グチひとつ言うこともなかった。

何よりも、美味しい魚を彼女なりの焼きかた、
煮かたで提供してくれていて、
それはすこぶる美味しかった。

忘れもしないのが、ある年の暮れに
行ったら「昨日で今年の営業は終わったの。
これ、もし良ければ、お正月に食べて」と
多くの魚をいただいたことだった。

そんな中で、彼女をずっと支えていた
Gさんが亡くなった。

そして、続いてY子さんが体調を崩したと
聞いたのは、それから数ヶ月経った頃。
何日か閉まっていて、常連でもあり、
僕が若い頃にジムで知り合ったツトムが
彼女の助けをしていた。

Y子さんは入退院を繰り返し、
たまにお会いすることもあったけれど、
うちの店をオープンする前に
残念ながら彼女は亡くなってしまった。

それに続くようにおかみさんも
亡くなったようだった。

何年、お世話になったかわからないけれど、
本当に残念だったけれど、
あの世でも三人で仲良くされていればいいんだけれど。


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2019年06月07日

ある家族のロングストーリー その2

昨日書いたタクミ君とその彼の
親へのカミングアウト。

お父さんを怒らせてしまって、
二人で関西に帰って来たその半年後、
母親から連絡があり、
なんと両親は離婚することになったと言う。

タクミ君のことがきっかけではあったが、
母親は、ことあるごとに頑固な父親には
頭を抱えていて、
もうこの人には付いていけないのだ、
そう思ったのだそうだ。

IMG_9203 2.jpeg

タクミ君の父親は、離婚届には判は
押さなかったようだが、
お母さんは家を出たらしい。

タクミ君は強く罪の意識を感じたが、
母親は何ヶ月かに一度、
二人が住むマンションに
遊びに来たり、その後、
タクミ君の彼の両親と共に
5人で食事をしたりすることにも
なるようになったと言う。

母親は、まったく父とは
連絡を取らなかったが、
タクミ君は、まれに父親に
連絡をしたそうだ。

基本的には憮然としながらも、お父さんは
タクミ君の仕事を気にしたり、
間接的に母親のことを
気遣ってくれたりしていたようだ。

そんなタクミ君の父親が体調を壊し、
倒れたと聞いたのが、去年の夏、
父の妹である叔母さんからの
電話だったのだそうだ。

お母さんと共に、病室に行くと
お父さんはずいぶん
気弱になっていたのか
「本当に二人が来てくれて、嬉しい」と
心から喜んだと言う。

そして、タクミ君にも
「ずっとお前のことがわかってやれなくて
申し訳なかった。」
そう謝ってくれたのだそうだ。
お母さんとお父さんが一緒にいるのは
6年ぶりだったと言う。

「もう一度、戻ってきてくれないか」
お父さんは母親にそう頼んだ。
お母さんは「ちょっと考えさせて」
そう言いながら、結局実家から
父親の下着や食べ物を病院に
持っていく日々が続いているようだ。

お父さんは少しずつ良くなっている中で
タクミ君は彼氏と二人で
見舞いに二度ほど行った。
そこにはお母さんもいて、
お父さんはタクミ君の彼氏に
長い間の無理解の詫びを伝えたらしい。

病院でタクミ君とその彼氏は
二人で号泣したのだそうだ。


思えば、僕の場合も同様だったなあ。
そして彼が理解したのも、
(それは父親のではなかったけれど)
僕が入院した病院だったことを思い出した。

必ずしも、すべての人が変わる訳ではないし、
変わるべきでもないけれど、
とても良い話だなあ、そう思った。

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2019年06月06日

ある家族のロングストーリー その1

昨夜、初めて来てくれた
関西に住む38歳のタクミ君。

彼からは、彼のパートナーと
彼自身の家族との驚くような話を聞かせてくれて、
出来るだけ、しっかりと書かせてもらいたく、
少し長くはなってしまうけれど、
今回は、今日、明日の二回に分けようと思う。


タクミ君には、10年ほど前から
付き合っている彼がいる。
彼が出張に行った地方都市の
とあるゲイバーで出会ったのだそうだ。

二人は同い年で、最初の2年は
新幹線で1時間ほど、という
遠距離(中距離?)で付き合いを始めた。

8年前に、彼のほうが転勤願いを出し、
晴れて関西で一緒に住むことになった。
そして、二人で話し合って、
地方に住むお互いの親に
カミングアウトしようと決めたのだそうだ。

その翌年の正月。
相手の家に二人で行き、
その彼が自分がゲイであること、
そして二人の関係を伝えると、
両親は「お前のことは高校生の頃から
わかっていた」と言い、
「世間の風当たりなども大変だろう。
でも、応援はする。
その代わり、二人で頑張って
永く付き合っていきなさい」と
素敵な言葉を贈ってくれたのだそうだ。


問題はタクミ君のほうだった。
元々、頑固で職人肌の父親は
たぶん受け入れてはくれないだろう、
そう思い、なかなか言い出せなかった。

そして、少し遅れてその年の
ゴールデンウィークに
二人で、タクミ家に出向いて行った。
案の定お父さんがキレてしまった。

「お前をそんなふうに育てたつもりはない。
絶対に許さない。むしろ、早く結婚しろ」
と彼の前で怒鳴ったのだそうだ。

そんな父親の姿を見て、
タクミ君のお母さんは
「あなた、私たちが両親の反対を
押し切って結婚したことを忘れたの?
あれだけ辛い思いをしたのに、
この子まで同じような思いをさせるの?」
とタクミ君たちの味方をしてくれたが、
父親の態度は変わらなかった。
「とにかく、今日は二人で出てってくれ」と
父親に言われ、タクミ君たちは関西に帰ったようだ。

それが、7年ほど前の出来事だったらしい。

この続きは、また明日。

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2019年04月27日

スマホをチェックされること

今日から多くの人たちの間で、
10連休が始まった。

その幕開け前日の昨日も多くのお客さんたちで
賑わったが、早々に地方から来ていただいた
お客さんも多かった。

そんな中、ホームページを見て関西から
来てくれた37歳のショウヘイ君。
彼は二十歳の時に結婚し、この年齢で
三人の父親なのだと言う。

若い頃から性的な意味で、男性には
ずっと興味があったけれど、
バイセクシャルだったせいもあって、
結婚は絶対にしようと思っていたようだ。

結婚後、女性との浮気が奥さんにバレて、
それからスマホはすべて
チェックされるようになったようだ。

IMG_8933.jpeg

だから、仮にいい男と出会っても、
連絡先を交換することはしないし、
二度会うこともない。

そして、寂しいと思ったり、
もう一度会いたいと思わないのかと尋ねると、
それもほとんどないのだそうだ。

恋愛感情を持たないようにしているのか、
それとも実際、好きになったり出来ないのか
それは自分でもわからないと言う。

でも、既婚者ゲイ(バイ?今は7対3で男のほうが
気持ちが良いとは言っていたけれど)としては、
そのほうが家庭のことを考えると良いなあとも思うし、
奥さんにスマホをチェックされるのは
まったく気にならないそうだ。

個人的には、家族であれ、人のスマホを
見るという行為はどうかと思うけれど、
本人が許しているのだから、
それはそれなのかも知れない。

こういう人がどれくらいいるのかは、
わからないけれど、
色々なタイプのゲイがいる、そう思う。


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2019年04月18日

あまりに突然な出来事

昨日の深夜、ショウタがぶらりと、
久しぶりに来てくれた。

そんなにお喋りではないけれど、
昨日に限って、大人しいなあ、そう思っていた。

「実は、つい二週間ほど前に
父が死んだんです。」
ショウタはそう言った。

まだ20代のショウタであり、
お父さんはまさに僕と同い年だった。

仕事中に心筋梗塞での急死で
ショウタは、泣きながらお母さんが
入れてくれた留守電を、
お父さんの死後数時間ほど経ってから
知ったのだと言う。

あまりの急な出来事に、
感情が追いついていかず、
おまけに動転している母親や家族を
叱咤しながらも、
事務的な手続きをやっていったのだと言う。

突然悲しみが襲ってきたり、
泣けるようになったのは、
心配したパートナーがうちに
来てくれた瞬間からだったようだ。

それにしても、僕と同い年だ。
自分の子供を育て、
家族のために仕事に精を出すショウタの
お父さんは、やっとこれから
自分自身が好きなことを始めようと
思った矢先だったのかも知れない。

自分の年齢になると、
かつては想像しなかった
突然の病の宣告や、
死に直面する話を耳にする。

僕は決して運命論者ではないし、
家系やDNAという問題は
あるかも知れないけれど、
それでも人の人生というのは
何か決められているような気がして仕方がない。

日頃、ものすごく気にして
検査をし続けていても、
ふと気が付くと、
驚くような場所に癌があったり、
あれだけ暴飲暴食していたのに、
80を超えても、まったく入院を
したことがない、そういう人もいらっしゃる。

もちろん、気を付けるに
越したことはないけれど、
人は、自分が定められた運命を
受け入れていくしか、
仕方がないのかも知れない。

寂しそうなショウタへの言葉として、
決して最良だとは思わないけれど、
僕個人としては、
そう考えざるを得なかった。


ショウタの話を聞いて思い出したのは、
トム・ハンクス演じる父親を
同時多発テロで突然失い、
それをどう受け止めていくかを描いた映画
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」。

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2019年03月12日

ペットを飼うこと

うちのお店に来てくれるお客さんたちが
ここ半年くらいで一斉にワンちゃんを飼い出し、
「どれだけ可愛いか」を連発する。

572429887.jpg

もちろん、前からずっと飼っている人もいるし、
そのしつけの大変さを超えて
どれだけ和ませてもらえるか、
幸せを与えらているかを
話してくれる。

何度も書いたように、
僕は実の子供が欲しかっただけに、
仮に犬でも、たぶん無性に可愛い、
と思うのは容易に想像できる。

20年ほど前に一度だけ
猫を飼ったことがあった。
それは、友人がやっているレストランに
チンチラの迷い猫が来て、
あまりにも可愛いけれど、
彼らのマンションは飼えないので
もらってもらえないかということだった。

最初は慣れない環境で
少し緊張していたものの、
ガストン(美女と野獣のキャスト名)と
名付けて、それはそれは
日々、楽しませてもらった。

しかし、ふた月もした頃に、
急にまったく食事をしなくなり
元気がなくなってしまった。

医者に連れていくと、糖尿病で
かなり悪いとのことだった。

毎日、5000円もする注射を
打たなければならない、という話。
僕がちょうど、癌の手術をしたばかりだった頃で
経済的にもどうしても無理だった。

先生に相談すると、
彼の食事さえ持ってきてもらえれば
あとはこちらで預かります、と
言ってくれた。

その後、数ヶ月でガストンは死んだ。
うちにいたのは、ほんの半年だったか。
自分でも驚くほど、
号泣したことを覚えている。

あれから、僕はペットを飼うのを
考えるようになった。
あんなに悲しい思いをしたくはない、
そう思うからだ。

でも、今まで愛犬や猫を失いながらも、
それでも飼っている人たちは
死ということをきちんと乗り越えながら
愛することを学べると言う。

なるほどと思いながらも、
なかなか踏み出せなかったりもする。

ま、その前に旅行や、外出ばかりしている
僕には土台無理なのかもしれないけれど。。。

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2019年02月04日

ゲイの婚姻届

先週の土曜日、友人タダシと
パートナーのK君が、
彼らが住む渋谷区役所に
婚姻届を出しに行ったようだ。

0655587590.jpg

彼らのことは、ひと月半ほど前に
このブログでも書かせてもらった。


あれから色々考えて、二人で
決めたようだった。

しかし、もらってきた婚姻届には
当然のように「夫」と「妻」の欄しかなく、
おまけに三男のK君は「三女」と
書くしかなかったのだそうだ。

役所に着くと(事前に知らせていたせいか)
目立たない隅の席に通され、
婚姻届を出すと
もちろんわかったように
「男性同士の婚姻は認められていないため、
不受理届けを発行させていただきます」と
言われ、タダシたちの儀式は
あっという間に終わったと言う。

彼らは、もちろん形だけの結婚を
しようと思ったのではなく、
あくまでも訴訟のための第一歩を
踏み出すためのモノだった。

区役所の前で記念写真を撮りながら、
タダシは何とも言えない虚しさに包まれたらしい。

それは、不受理だとわかっていながらも、
一生に一度の婚姻届が受理されない現実を
見せられたことだったようだった。


同性婚に反対する人たちは、
ストレート女性よりも、
ゲイの男性が多いとも聞く。

特に自分が結婚などしたくない、
興味がない、というのもわかるけれど、
何故にしたいと言っている人を
許せない、させたくない、
と思うことが僕には理解できない。

自由に選ぶことが出来た上で、
本当に「結婚制度」というモノが
正しいかどうかを議論するのが
一番なのではないか、そう思う。

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2019年01月27日

つきせぬ子供への思い

昨年の初夏だったか、若い友人二人から
驚くような話を耳にした。
友人二人は、一人はゲイ、
一人はトランスジェンダーのF to M。


トランスの彼のパートナーが、
ゲイの彼の助けを借りて、
子供を身ごもったという話だった。


フミノは、店を始める2年ほど前に知り合った
トランスジェンダー。
ゴンも店を初めて、ほぼすぐに来てくれた
ゲイの会社員だった。

彼らは色々な偶然が重なって繋がり、
ここを読んでいる人の中にも
知っている人も多いかと思うけれど、
この10年、ありとあらゆる
メディアに出て、LGBTについての
活動を広げて来た。

彼らの起こしたムーブメントは
かつて経験したことないほど
大きく、広がった。

高齢者のシェアハウスへの考察、
来年にも1万人を超える
カミングアウト・フォトのプロジェクト、
そして渋谷区のパートナーシップ条例の成立、
そして同性婚への提訴
などなど、ただのブームとは言えない
アクションを次々と起こし、
日本で「LGBT」という言葉を
認知させたのも彼らではないかと思う。


もう60を過ぎてしまった僕が、
暗くて重いクローゼットの世界から
ゲイを受け入れるまで、
(まさかのゲイバーの主人になるなどとは
思えず)
長い長い時間が経過した。

自分を受け入れることもままならないのに、
他者に受け入れられるということに
終始していく彼らのエネルギーって
一体どこから来るのだろう。

「そんなつもりもなかったけれど、
ふと気がつくと、使命感のようなモノに
かられて、何かせずにはいられなかったんです」
ゴンは僕にそう言った。

そんな二人がフミノの彼女と共に
悩みに悩んで、子供を作ることを決意し、
昨日、以下の記事が出た。


これを読むと、フミノカップルが
いかに子供を欲しいと望んだか、
その思いをどうやって叶えようとしたか
理解出来る。

ここに何度か書いたけれど、
僕自身、ゲイとして生まれ、育ち、
それでも自分のDNAを残したい、
自分の子供を育てたい、
そういう気持ちを持ち続けた。
僕にとって、子供を持てなかったことは、
人生で唯一心残りであるかも知れない。

彼らが頑張ってきた
今までの流れを知っていると、
今回の公表が、彼らの活動の一環、
そして子供を使ったプロパガンダなどと
言う意見も多く出てくるのだろう。

LGBTであるからには、
子供を持つべきではないのか。

僕が知っている子供を育てる同性カップルの
子供たちは愛情に満たされ、
それぞれが伸び伸びと幸せに
成長しているように僕には見える。
もちろん、そこにはいくつもの問題があるだろう。
でも、それはストレートカップルも
持つそれぞれの問題とは
大きく変わらないような気がする。

彼らの公表は、生まれた子供にとって
どういう影響をもたらすかという問題は
彼らの強い愛情によって超えることが
出来る、僕はそう信じている。

色々な家族の形があり、それは望めば実現出来る。
そういう方向性を示した、という意味で
僕は彼らにエールを送りたい。

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2019年01月26日

つきせぬ母への思い

タスクさんは、僕よりも少し若いけれど、
少しコワモテで若いコが憧れるような
素敵なミドルエイジだ。

彼は都内から少し離れている
ということもあってか、
たまにしかお店には来られない。
去年の11月頃に来てくれた時に、
ここのブログで僕が母のことを
書いていた記事を読んでくれていた。
そして、彼もお母さんを
半年前に介護施設に預けるようになり、
毎週末、顔を見に行っていると言っていた。

昨日、今年、初めて
うちの店に来てくれた。
最初はざわざわとした中、
僕は相手も出来ず、
バタバタと動いていた。
その間、特に隣の人と話すこともなく、
ゆっくりとお酒を飲むタスクさんの
ちょっと遠い目が気になった。

落ち着いてから、
「お母様の具合はどう?」と尋ねると、
少しだけ潤んだ瞳で
「ついこの間、
9日の日に亡くなりました」
タスクさんはそう言った。
まだ、2週間と少し前のことだ。

うちの母親と同じ90歳で、
去年の暮れから意識が遠のき、
そのまま最後の言葉も交わさず、
逝かれたのだと言う。

うちの母は介護施設に入って
(途中、施設を変えたことも入れて)3年だったが、
タスクさんのお母様はたった半年。

施設には本当にお世話になったけれど、
でも、やっぱり入居してから
それまでの「気」のようなモノが
ちょっと失せたような気がした、僕がそう言うと
それはタスクさんのお母様も
同様だったのだそうだ。

タスクさんは、お兄さんがいるけれど、
彼がお母様と同居していたこともあり、
喪主を務められたと言う。
その辺りは、僕とも似ている。

半年経って、1年経って、
そして3年経った今も、
ふとした瞬間に母のことを思うと
何とも言えない寂寥感に
さいなまれることがある。

タスクさんは、まだまだ
そんな気持ちのまっただなかにいるんだろう。
90歳、大往生と言っても、
子供の心にはありとあらゆる
後悔の念はなくならない。

両親に恩を返すことは
自分の子供を作り、
育てあげることだったりする。

そんなことを思いながらも、
自分に言い聞かせるのが
僕がまだ赤ん坊だった頃、
または少年だった頃、
母の胸の中で抱かれていたあの感覚を
きちんと思い出すことだ。

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あの心地良かった気持ちさえ
忘れずにいることが
きっと母への感謝と供養になるんじゃないか
そんなふうに思ってしまう。

タスクさんのお母様のご冥福をお祈りします。

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2019年01月07日

Xジェンダーの息子を持って

昨日は、僕が前にいた会社で
デザインをやっていたクニヤさんが
友人を伴って、店に来てくれた。

クニヤさんは60代半ばで
ストレートなのだけど、
髪の毛を肩まで伸ばし、
趣味のロックをずっとやっている、
という意味では、そのへんのゲイよりも
ずっと若く見えたりするから凄い。

クニヤさんは、8年ほど前に
元同僚などと一緒に、
店に来てくれたことがあった。
その時に、執拗にクニヤさんが
ゲイバーだから、とオネエ言葉を使っていた。

「ゲイだからと言って、みんながみんな、
オネエ言葉を使うワケじゃない」と
僕が言ったことを、とても覚えてくれていて
「みつあきからは、色々教えられた」なんて
言ってもらえたのは嬉しかった。

と同時に、クニヤさんが「実はさ、
俺の息子が去年、突然Xジェンダーだ、と
俺やかみさんに
カミングアウトしたんだ。」と言う。

Xジェンダーというのは、
男性とも女性とも定まらない、という
人たちなのだ。
以前、店にもそういう人が何度か
いらっしゃったことがあるけれど、
あまり細かい話は出来なかったと記憶している。

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クニヤさんは僕が会社を辞めたあと、
ゲイであることを知って、
かなり驚いてはいたようだけれど、
今回の息子さんの件はショックや驚きよりも、
すんなり受け入れることが出来たと
言っていた。

彼が今後、どんな人生を歩いていくのかは
未知数だけれど、少なくとも
クニヤさん夫婦が認めたことで
息子さんは随分楽になり、
開放的になった、
と言っているらしい。

「アイツはこういう両親に育てられて
幸せなんじゃないかなと思うけれど、
こういう両親だったから、
Xジェンダーになっちゃったのかも」
なんて、ジョークを飛ばすクニヤさんは
素敵だった。

ゲイであれ、なんであれ、
自分のふた回り以上も
違う両親へのカミングアウトは
日頃、若い人たちには
僕はそれほど進めてはいない。

ただ、クニヤさんの話を聞いたりすると、
何が何でも親に話すべきではない、
ということではなく、
自分の両親を在り様を見て、
話すか話さないかの選択肢というのも、
ありなのかも知れない
そう思った。

クニヤさんは「ありがとう。
ここに来られて幸せ。
今度、息子を連れてくるよ」と言って
帰って行かれたけれど、
そう言ってもらえる立場にいることは
僕自身、とても幸せだと感じた。

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2019年01月05日

パートナーが遺してくれたモノ

昨夜、古い知人のキョウヘイが
連れて来てくれた僕と同世代のショウゴさん。

彼は20代の時に知り合った
30歳上の人と30年連れ添って、
つい2年前に見送ったのだそうだ。

80を超え、体力が亡くなり、
どんどん衰弱していく彼を
どういう形でも、しっかりと
守っていこう、そうショウゴさんは
決心したのだそうだ。

パートナーが70歳を過ぎた頃、
遺言を書き、彼の遺産や
家はショウゴさんに残すように
指定したとのこと。

それは亡くなった
相手の古い友人カップルが
遺言も何も残さなかったために
親族が根こそぎ持って行き、
なおかつ、二人で買った
マンションも追い出されるようにして
出て行かされた。

人ごとながら、その友人たちが
いかに悔やんだかを聞いていた彼は
ショウゴさんに出来るだけのことを
しようとしたようだった。

そのおかげで、ショウゴさんは
彼と暮らした部屋で今でも
彼の残した多くのモノと共に
生活をしている。

確かに、何も知らされていない親族との
確執の話はよく耳にする。
法的な背景がないと
何も、誰も守ってはくれないのだ。

ショウゴさんの話を聞いて思い出した
映画「人生は小説より奇なり」だ。

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ニューヨークで同性婚が合法化を受けて
結婚したゲイの熟年カップルの
悲喜こもごもを描いていた。
未見の人は是非。

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posted by みつあき at 11:07| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする