2022年07月30日

友だちのパートナーの死から

昨夜、来てくれたケンタ 48歳は
昨日の夕方、兄弟みたいにしている友人と
食事をしてきたのだそうだ。

食事をしに行く途中に、二人で歩いていたら
バッタリ、その友人の知り合いに会ったらしく、
ちょっと立ち話を始めたので
ケンタは距離を置いて見ていた。

数分後、その友人はごめん、ごめんと
ケンタのほうに戻って来たけれど、
その顔にはじんわりと涙が浮かんでいた。。。

その理由は、友人がケンタを食事に
誘ったことにも繋がっていたようだった。


その友人は長年付き合っていた彼氏を
5年ほど前に亡くしてしまっていた。

その亡くなったパートナーは、
本人の母親にカミングアウトをし、
ケンタの友人はその母親ともよく会っていたようだ。

彼が亡くなってしまってから、友人と
パートナーの母親は毎月、その命日には
会って食事をし、亡くなった当日は、
位牌を蒔いた海へ、その母親の運転する車で
毎年行っていたのだと言う。

この7月がその彼の命日で、その日も
二人で車で色々なことを話したばかりだった。
が、なんと、その10日後、その元彼の母親が
癌で亡くなったのだそうだ。

体調が悪いと聞いていたけれど、
あまりの出来事にケンタの友人も
どうしようもない状態だったのだそうだ。

そして、食事前に偶然ばったり路上で会ったのが
亡くなったパートナーの親友だったらしい。
その親友に元彼の母親の死を伝えたことが
涙の理由だったらしい。

まるで必然かと思われるような出来事が
偶然、起こってしまう。
昨日のブログのようなことも、
今回耳にした出来事も、
その不思議な繋がりに驚かされ、
かつ色々と考えさせられてしまうのだ。

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2022年06月27日

25年という月日

僕は、人に自分自身のことを何か質問されると、
これだけは言えない、ということはあまりなく、
ほとんどのことはちゃんと応えられる。

ただ、このブログでは、
自分と自分のパートナーのことは
あまり書いていない。
少し気恥ずかしいのと、あまりにもプライベート過ぎる、
ということで、お客さんを引かせてしまうのでは、ということ。
あと、ほぼ書くような出来事も
さほどなかったりするからだ。

彼はうちの店から歩いて5分少しのところで、
鍼灸マッサージをやっているのだが、
(これはオープン時、このブログでも
紹介させてもらった)
一緒に住んでいても、昼夜逆転の生活。
僕がうちに帰る頃、彼は寝ているし、
僕が起きる頃、彼は出かけてしまっていたりする。


ただ、今年の昨日、つまり2022年の6月26日は
二人が出会ってちょうど25年経った、
という記念日だった。

そして、丁度この日、彼のお父さんが
亡くなられてほぼ1年。
同日に、静岡の彼の実家で一周忌が行われ、
それにお参りをさせていただくことになった。


僕と彼は今はない2丁目の「ゲンパパ」という店で
25年前に知り合った。
それぞれの住まいが歩いて20分くらいの
ところにあったことから、ほぼ毎日行き来が始まり、
2ヶ月後には一緒に引っ越しをし、同棲し出した。
あれから25年。
僕が店を始めたこの15年は、特に書くような出来事は
なかったけれど、その前は色々な出来事もあった。

付き合って4年目に僕がガンになったことから、
うちの両親と彼が初めて顔を合わせることになり、
そこから僕の家族と彼の距離がグ〜ンと縮まった。

その後、我が家の名古屋に住む長男、
スウェーデンに住む次男、
神戸に住む妹夫婦、甥っ子たちにも
僕たちの関係は広まり、
父や母の葬儀には、彼は常に僕の横にいてくれた。
そういう意味では、僕は幸せなほうだと思う。

片や、彼は自分の家族にカミングアウト
したことは一度もない。
しかし、不思議なことに、彼の家族は
共にマンションを購買したことも知っているし、
亡くなったお父さんはよく遊びにいらっしゃったし、
僕の入院先にはお姉さん夫婦にも来てもらった。

加えて、去年のお父さんの葬儀、
そして今年の一周忌。
ご親族以外から尋ねられると
ご家族(お兄さん二人と、お姉さん)は
「25年一緒に住んでいる人」と
答えてくれて、何故かそれで収まっている。


一度だけ、まだ健在だったうちの両親と
彼のお父さんが、引っ越したばかりの
我が家で共に食事をしたことがあった。

その際、うちの両院にはカミングアウト
していたが、彼の父親は何も知らないはず。
特にゲイであることについては、
会話上で触れないでほしい、
そう僕の両親には釘を刺していた。

しかし、うちの両親と別れ間際、
彼のお父さんは「これからも末長く
息子をよろしくお願いします」と言われたらしい。
うちの父は「あれは、きちんとわかってらっしゃるよ。
大丈夫だ。」そう言っていた。

昨日の一周忌では、彼の長男の運転する車で
迎えてもらい、体調が悪い次男のお兄さんとその息子
(彼の甥)、そして僕らと同い年の従兄弟と
多岐にわたる会話を楽しんだ。
特にこの人たちに、わざわざ丁寧に
説明やカミングアウトせずとも、
大丈夫なのだろう、そう思った。

それが、僕たちの25周年という日になった。
ゲイで25年、ということが長くて凄いね、
なんて言われることもないような、
そんな時代になることを願いながらの
1日となった。

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2022年06月18日

カミングアウトの難しさ

ノリヒデちゃん、40歳はとても大らかで
聞かれると自分のことはなんでも話す、
明るい性格の持ち主だ。

お父さんは若い頃に亡くなったらしいけれど、
残されたお母さんや、あとの二人の兄弟とも
仲良く楽しくやっているのだそうだ。

ただ、20代の頃と30代の頃、
母親に自分がゲイであることを
カミングアウトしたようだが、
「何を気持ち悪いこと言ってるの」と
まったく取り入ってもらえなかった。

一緒にテレビを観ていても、
オネエや女装タレントが出ると
「あんたもああいうふうになりたいの?」と
侮蔑的な言葉も吐くし、
同性同士のラブシーンなど出てくると
「ホントに気色悪い!!」とチャンネルを変える。

自分たち兄弟を一人で育ててくれた
お母さんにはとても感謝しているし、
愛情も感じている。
ただ、カミングアウトした時の
嫌悪感を見ると、実家に帰りたくなくなるのだと言う。

地方都市に住む70も超えた人たちへの
カミングアウトは、本当に難しいし、
僕も基本的には薦めない・

僕自身、30代の時に
カミングアウトしてしまったけれど、
それはずっと後悔してしまうほど、
それを知って泣いた母親を見て、
父の憤りは忘れられない。

ただ、そのあと、僕が病気になった際に
あまりにも熱心に看病をしてくれた
パートナーを、両親は受け入れてくれた。

ただただ、「同性愛者」であることを
カミングアウトしてしまっても、
普通に「性」のことと紐づけてしまう。

可能であれば、自分にパートナーが
できたりした時に、自分にとって
どれほど大切な人か、ということを
伝えることから、変わる親御さんもいるのかも知れない。

ただ、まったくそういう人が周りにはいない、
そう思っている人たちにとっては、
不気味な変態、としか映らないのだろう。

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2022年06月16日

既婚者ゲイのサプライズ

昨夜は、出張で上京すると、必ず顔を出してくれる
タカダちゃんと、都内に住んでいるヤスヒサ君、
それぞれ既婚者同士が隣り合わせになった。

タカダちゃんは、バイではないし、女性との
エッチも奥さん以外とはほぼないらしいが、
ヤスヒサ君は完璧にバイ。出張で地方に行くと
同僚とキャバクラやソープにも
顔を出したりしたと言う。

タカダちゃんは、もう成人している
二人の子供がいるけれど、
ヤスヒサ君はまだ学生の一人のみ、
というのは、性的な嗜好性が
逆のような気もするけれど、
それはたまたま、ということだった。

それこそ、タカダちゃんは完璧に
ゲイだと断言するけれど、奥さんだけは別。
彼女とはきちんと愛し合えると豪語する。

そんなこんなでタカダちゃんの奥さんの話となった。

ここで、二人は既婚者ゲイ(バイ?)という
以外に、すごい共通点があることが発覚する。

ヤスヒサ君は、中学、高校とタカダちゃんの
住む地方都市にいたらしい。
二人の年齢差は、6歳ほどで
ヤスヒサ君のほうが若い。

そして、高校の名前をヤスヒサ君が言った瞬間に、
タカダちゃんの奥さんが同じ高校、
それも同学年、ということが発覚。

ヤスヒサ君は高校時代、付き合った彼女がいる、
とは言っていたが、まさかそのコと?
なんて想像してしまうが、
さすがのタカダちゃんも奥さんの名前は言わず、
ヤスヒサ君も聞こうとはしなかった。

それにしても、ゲイは本当に狭い世界、
というけれど、奥さんを巻き込んでの
スモールワールドがあるとは。。。

この話には僕もびっくりした。

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2022年06月05日

前を向いて歩くということ

昨夜、二度目に来てくれたゴロウ君30歳。
朝に近い時間だったので
結構酔っ払っていた。

ガッチリしていて爽やかなルックスから、
ちょっと想像できないような言葉がこぼれた。

「毎日、深く考えずに元気でいよう、
そう思っていますが、日々、
ヘビー過ぎて、抱えきれなくなっちゃったり
するんです」

ゴロウ君は昼間の仕事をしながら、
土日も含めて、いくつかのアルバイトを
して生計を経てているのだそうだ。

まだ50代になったばかりのゴロウ君の
お母さんは、10年ほど前に大病をし、
仕事がまったく出来なくなった。

別れてしまったお父さんの借金を背負わされ、
なおかつ毎月の家賃、そして生活費も
家に入れなければならない。

そのために、友人と遊んだり、
好きな人とデートをしたりする時間は
ほとんど取れない。

もう家を飛び出たいと思ったこともあるけれど、
とにかくゲイであることをきちんと
受け入れてくれている母親の
深い愛情には、報いなければ、という思いだそうだ。

今日はたまたまアルバイトが
先方の都合でなくなったので、
飲みに出てきたのだったと言う。

好きになった人も過去数人いる。
しかし、会おうとしてもなかなか
時間が取れなかったり、ゴロウ君の
家の事情を話すと、自然に離れていって
しまったりするのだそうだ。

人それぞれに幸せなこともあれば、
想像以上に辛いことも抱えていて、
その重さは決して測れないし、
決してきちんと理解したりすることは
出来なかったりするのだ。

「酔っ払っているから、恥ずかしい
話ばかりして、すみません」
そう言いながら、
「今は八方塞がりのように見えますが、
それでも何とかなる、そう信じています」

僕には彼の話を聞いてあげることしか
出来なかったけれど、酔いながらも
しっかりと正面を見据えて、
明るく笑うゴロウ君。
そんな彼を見ながらも、
目の前に立ちはだかる困難な道を
切り開いていけるだろう、そう思った。

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2022年04月01日

長く、不思議な関係

50代の既婚者ゲイのトシキちゃんは
数ヶ月に一度顔を出してくれる渋いイイ男だ。
いつもこちらがバタバタしていて
ほとんどなかなか話が出来ない。

ただ、昨日は雨も降り出し、それほど
お客さんがいなかったので
ゆっくりと話をしたのだが、
初めて耳にする内容は
驚くことだらけだった。


彼は20代の頃から10歳上の人と付き合っていた。
10年近く経過し、どうしても子供が欲しいトシキちゃんは
意を決して結婚。

トシキちゃんの彼氏は、古くからの
先輩として奥さんになる人や、
ストレートの友人にも紹介していたと言う。
もちろん、結婚式にも呼んだ。
ただ、その彼は披露宴や、二次会でも
ずっと泣いていたらしい。

その後、その彼はトシキちゃんの新居から
近い場所に引っ越してきて、しょっちゅう、
トシキちゃん家族で食事をしたりする、
というある意味、複雑ながらも
良い関係へと発展したと言う。

今では20代になるトシキちゃんの子供からも
頼りにされているくらいらしい。


彼らの関係は結婚したあと、徐々に
それこそ家族的なモノに変化し、
その彼には若い新しいパートナーが出来た。

その若者は、トシキちゃんのもとかれ公認ということで
トシキちゃんとも関係を持つ、というから
これまた凄い話だ。

もちろん、そんな事とは別に
トシキちゃんは奥さんも子供も
非常に大切にしているとのことだ。

そして奥さんよりも長い元彼?とは
知り合ってもう35年くらいになる。

いつも書くけれど、店をやっていると
驚くような話を聞くし、人の人生は
それぞれだ。そう、つくづく思うのだ。

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2021年11月13日

忘れられない言葉

昨日の深夜、かなり酔っ払った感じで
僕と同い年のタグチちゃんが来てくれた。

「おお!結構、飲んでる?」と尋ねると
「うん、かなり。ちょっと話を
聞いてもらいたくてね」と言う。


タグチちゃんは、20年ほど付き合っている
それこそ20歳も年下のパートナーがいるのだが、
ワケあって、今月に入ってすぐに
地方都市の実家に帰省してしまった。
仕事を辞め、実家で新しい生活をする、
という話なのだそうだ。

タグチちゃんは、パートナーの親御さんや
兄弟にも何度か会っているけれど、
彼らは息子やタグチちゃんが
ゲイだということはおそらく
わかっていないのだと言う。

逆にタグチちゃんと
同居しているお母さんは
二人の関係をよく知っており、
パートナーが東京を離れたことを
非常に残念に思っているとのことだ。

彼が突然いなくなってしまった
その寂しさと、どうなるかわからない
今後のことを考えると、辛くて仕方がない、
タグチちゃんはいつになく涙ぐみ、
と同時に、饒舌に自身の話も色々としてくれた。


今はお母さんと二人、何とか楽しく
暮らしているけれど、タグチちゃんが
20代の頃、思い余ってご両親に
カミングアウトした時は
本当に大変だったと言う。

お母さんはともかく、
お父さんからはすぐに「お前はおかしいのだ」と言われ、
自分の親友の精神科医のところに
連れて行かれたのだそうだ。

その時に、その医者がお父さんに放った言葉が
タグチちゃんは今でも忘れられないと言う。

「お前、息子を俺のところに連れて来たけれど、
診なきゃいけないのは、お前の頭のほうだ。
自分の愛する子供が同性を好きだ、と
いうことを変態だとか、頭がおかしい、と
言っているお前のほうが、
精神が病んでいるのだ」と。

タグチちゃんは、そのお医者さんのひと言に
どれだけ救われ、それに寄って大切な恋人とも会え、
頑張って長く続けてくることが出来た。

それだけに、これからのことが
かなり重くのしかかってくるのだと。

どうすれば良い、ということは
何も言えなかったけれど、
少なくともその言葉は
タグチちゃんがどういう状況に置かれても、
力強く背中を叩いてくれるような気がした。

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2021年09月03日

ゲイカップルとベビーシッター

20代後半のツトムは、アルバイトで
ベビーシッターをやっているらしい。
そのベビーシッター、と言うのも、
ゲイのカップルが育てている子供の
シッターだと言うから驚いた。

ツトムは、まだ2丁目に出て来たばかりの頃、
店で知り合ったカップルがいて、
友人もいないツトムには
非常に親切にしてくれたのだそうだ。

そして6年ほど前に、
そのカップルの一人が
とある女性とネットで知り合い、
人工授精で子供を提供してくれる
という話になったようだ。

その女性は、どうしてもお金が必要だった
ということだったらしい。

このカップルは、それぞれが仕事が
非常に忙しく、夜勤が多いツトムが
平日の昼間、シッターをすることに
なったのだそうだ。

この流れにツトムはとっても
驚いたようだった。

欧米とかではよく耳にする話だけれど、
僕自身も、こういった話を
国内で聞くのは、有名になった
松中君(ゲイ)と文野君(トランス)の
ケースくらいだった。

思えば、まったく知らないところで
こういう形というのは、少しずつ
増えているのかも知れない。

それにしても、ゲイカップルの赤ちゃんと
ゲイのベビーシッター。
まさか、こんな時代が来るとは。。。

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2021年08月31日

見ることがない、そんな我が子への想い

ヤスハルはご両親にとても大切に
育てられて、数年前にお父さんを亡くした。

今、健在のお母さんは85歳。
地方都市で、お一人で暮らしていて、
一人息子のヤスハルとしては
とても気がかりだそうだ。

お母さんはとても気丈な方で、
心配すればするほど、大丈夫!と
元気な答が返ってくるらしい。

他のお年寄りを見て「あのお婆さん」と
人ごとのようにおっしゃるらしいけれど、
それはうちの母もそうだった。

ヤスハルが最も気に病み、悔やんでいるのは
亡くなったお父さんや、健在のお母さんに
孫の顔を見せることが出来なかったことだと言う。

30歳前後では、何度も結婚の話を聞かれ、
本当に面倒だったけれど、40も過ぎた頃からは
そういう話はまったくなかったようだ。
しかし、彼の心の中では、いつも
申し訳ない、という気持ちだったと言う。

僕がよくこのブログに書くように、
僕自身、悔やみがあるのは、
自分まで繋がってきた、このDNAを
残せない無念さだったりすることだ。

ある意味、それは僕個人のわがままだけれど、
ヤスハルは、単純にご両親への想い、
というところで、つくづく
優しいなあと思った。

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2021年08月26日

親族との関係

昨日来てくれたアツシは、その元カレが
ここ10年近く幸せそうにしているのに
羨ましくも、驚いた、という話をしてくれた。

アツシの元カレは、結構潔癖症で
気難しいタイプだったので、
アツシと付き合っていた頃は
喧嘩が絶えなかったと言う。

しかし、今のパートナーと一緒になって
ものすごく変化した。
いや、その元カレが変化したのではなく、
そのパートナーが凄いのかも知れない、
アツシはそう言う。

パートナーは元々、家族にカミングアウト
していたようで、カミングアウトどころか、
ご両親とはさほどうまく行っていなかった
そのアツシの元カレは、驚いたようだ。

最初は実家に連れて行ってもらい、
挨拶から共に食事するくらいだったのが、
年月が経つに連れ、大きく変わった。

なんとそのパートナーの実家の家業を
手伝うことになったそうだ。

なおかつ、その実家の隣近所、
または親戚筋とかにもすべてオープンで
(ご両親自体が、普通に息子のパートナーだと
紹介してくれるらしい)、
最近では従兄弟の結婚式だとか
冠婚葬祭まで共に行くのだと。

それを聞くと、男女の結婚と同じ、
いや、面倒だから親族とは関わらない、
というような夫婦も山ほどいる中で、
非常に稀有なケースだと思う。

そういう中で、あれほど気難しく感じた
元カレも大きく変わったんだなあ、と
アツシは思うのだそうだ。

つい最近、僕も従兄弟との関係を書いたばかりだけれど、
受け入れる人はどんどん受け入れるのだなあと
ちょっと感慨深い気持ちになった。

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2021年07月23日

家族のかたち

一昨日、僕のパートナーのお父様が
亡くなられた。
あと少しで97歳、という大往生だった。

ここのところ、トイレに立つのがそれなりに
大変だったりして、そろそろ施設に、と
10日ほど前に施設に入られた。

ただ、あまりにもお元気なので、
一度家に帰ってこられて
散歩などをして、少し休んでいるのかな、と
思ったまま、すっと逝かれたらしい。

それを聞いて、こんな穏やかで
幸福な人生の全うの仕方ってあるのだ、
と羨ましくも微笑ましく思った。


こういう時期だから少人数の家族葬で、
ということで僕もお通夜に行かせてもらった。
僕の席を設けていただき、お兄さん、
お姉さん夫婦など、皆さん本当に
優しく、親切にしていただけた。


お父様は、多い時には3ヶ月に一度くらい
我が家にもいらっしゃって、
パートナーが仕事の時は、
僕が一緒にドライブにお連れしたりもした。

美術館や、山登り、コーラス、ハーモニカ、
書道、など好奇心旺盛で多彩。
いつも、笑顔で、僕に対しても
常に「さん」付けで、丁寧に接していただいた。

うちの死んだ父なんかは、パートナーを呼び捨て。
えらい違いである。

お父さんが語られる話もとっても興味深かった。
軍人として、中国に長く行かれたけれど、
上官からのしごきもなく、激しい銃撃戦も
観たことがなく、それよりも電車の移動が
とても楽しかったなど、など。


それにしても、あの穏やかなお父様の家族なんだなあ
そう思うところが節々に感じられるお通夜、
そしてその後の食事会だった。

彼のお母様が亡くなったのが、
僕と彼が出会って半年後。
あれから25年近くが過ぎた。
その時に、ご家族に初めて会ったのだった。

思えば、うちの両親の葬儀にも
パートナーは僕の傍にいてくれ、
色々な意味で、そんな形を受け入れてもらえた
家族を持てて幸せだ、そう思った。

こんな時に、自分に愛する子供や孫が
いたら、などと考えるのは、
贅沢な悩みなのかも知れない。


自分のプライベートをほとんど
ここでは書かないけれど、
お父様の御逝去のお悔やみとして
そして今までの感謝として
今日は許してもらえれば、有難い。

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2021年07月15日

久しぶりのクローゼット

ワクチンも打ったし、この長い休業要請の中、
今月末にでも、久しぶりに母の実家がある
岐阜県に行こう、そう思い立った。

山々や川に囲まれ、本当に田舎で
幼少の頃から中学に上がった頃まで
夏休みや正月には、両親や兄妹と一緒に
よく遊びに行ったものだ。

父方の祖父は、祖母が亡くなったあと、
後妻と一緒に、あまり目立たないように
ひっそりと京都で生きていたのだが、
その後、母の実家の近くに
移り住んでいた。

母方の祖父母は、僕たち孫たちを
強く愛してくれていた。

乗馬クラブを経営し、
馬をこよなく愛していた祖父。
馬に蹴られ大怪我をしても
「馬は悪くない。蹴られた俺が悪い」と言い、
おそらく若い頃は凛々しく
良い男だっただろう面影がそこここに感じられた。
また、常に祖父と一緒に離れの部屋にいた祖母は
僕たちに優しく接してくれた。

母親の弟夫婦とその子供たち(いわゆる従兄弟だ)は
祖父母と一緒に、その大きいうちに住んでいた。

母の弟夫婦も亡くなり、
僕と同世代からひと回り下の
従兄弟たちとも、もう25年近く会っていなかった。

そして、今回、そんな従兄弟に
突然、そちらに行きたいと電話をかけた。

まだ20代だった従兄弟はもう、
50を過ぎ、子供たちも家を離れており、
奥さんと二人であの大きな家に
住んでいるらしい。

「あんちゃん、まだ映像関係の仕事、続けてるの?」
といきなり言われ、「いや。もう飲食関係で
働いていて、今はとても大変だ」
僕がそう言うと
「ああ、そうなんだ」と。

僕の長男が従兄弟の近くに住んでおり、
長男の息子(つまり甥っ子たち)は
僕のことをゲイであることも知っているのだが、
どこからも伝わっていないようだった。

電話で細かいことは聞かれなかったけれど、
田舎で暮らし続けた従兄弟に、
わざわざ話すことだろうか、と考えた。

彼の上には二人姉妹がおり、
彼女たちのほうが僕は年齢は近いけれど、
今回、会えるか、どうか、わからない。
いずれにしても、彼女たちも知らないだろう。

親兄弟、そして甥たちまで伝わっており、
多くのSNSから元会社や学生の時の友人まで
幅広く知られている中で、
なかなか久しぶりのクローゼット感だった。

流れ次第で話すかどうか。
今後、彼らとどれくらいの付き合いになるか、
わからないので、そういう意味では
敢えて伝える必要もないか、
今回はそう考えているところ。

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2021年06月14日

両親の墓、そして自分の墓のこと

昨日のブログは手違いで、飛ばしてしまい、
改めて書いているので、
関心がある人はひとつ前に
戻って読んでみてください。


さてさて、今日は、去年コロナで行けなかった
両親の墓参りに行ってきた。

両親の共同墓地は、神戸近くの駅から
バスで30分ほど乗った場所にあり、
新大阪や新神戸からも、1時間以上かかる。

また、バスも1時間に1本ほどで
行って墓をゆっくり参っていたら、
帰りのバスに乗り遅れてしまう。

ただ、今回は朝早めに着いたこともあったので
たっぷりと時間を持つことが出来た。

また、雨天か曇天という予報に反し、
強い日も差していたので、
枯れた花を片付け、
母が好きだったカーネーションや
百合に差し替えたり、
墓周りの掃除をしたりした。

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今日は月曜日という平日だったこともあり、
大きな墓地だけれど、人はほとんどいなくて、
マスクを取って、木々の香りや
山から吹く爽やかな風、
そして強くなった日光を満喫しながらの
墓参りだった。


思えば、うちの父は生前「墓はいらないから、
自分の骨は海に撒いてくれ」と言っていた。
それには僕も強く同意する。

ただ、父がそう言ったモノの、
海に散骨したあと、
母が父のひと握りの遺灰を持っていて、
「これと私のを一緒に、共同墓地に
埋めてね」そういう母の願いもあって、
この地に二人は眠りに付いているのだ。

父の父親、つまり僕の祖父は
祖母の死後、いわゆる当時の2号さんと
言われる女性と共に暮らし、
その祖父の遺灰をその人が
持ってどこかに行ってしまった。

そういう意味では、僕の苗字がある
父方の墓、というのが存在しないのだ。

店のお客さんに寄っては、
家の墓守をしている人も結構いて、
それはそれで大変であると聞く。

ただ、こうして年に1度か2度、
両親の墓参りに来ると、
改めて、この人たちに生み、育てられ、
今の自分があることが感謝出来るのと、
この日だけは両親と心の中で
会話出来る気がするのだ。

とは言いつつも、残念ながら
自分の子供を持つことがない僕は
やぱり墓に入る、ということは
タブーなのかも知れないなんて
確信したりするのだ。

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2021年05月13日

義理の妹からの電話

昨日、古くからの友人のヒサムネから
「ちょっと怖いことがあったんだけど、
電話していいかな」そうLINEが来た。

何、何???と尋ねると、
早速かかってきたヒサムネの声は
3、4年ぶりとは思えないほど
まったく変わらず、とりあえずは
元気そうでホッとした。

「それが、俺の死んだ弟の話なんだけど」
と切り出した。

そう、ヒサムネの弟さんは5、6年前に
まだ40歳という若さで奥さんと子供を残して
亡くなったことは聞いていた。


ついこの前、奥さんから連絡があって、
「突然、弟の友人というのが、
線香を上げさせてもらいたい」と
家にやって来たのだそうだ。

「同じ会社の方ですか?」と聞くと
「いえ、違います。」と言ったっきり、
詳細を話さない。

「それが、こんな事言うのもなんだけど、
ヒサさん(ヒサムネのこと)みたいな
雰囲気の人なの」そう義理の妹は言う。

え?どういう意味かときちんと聞くと、
その彼がゲイなのじゃないか、と。

そう。死んだ弟にも、その奥さんである彼女にも
ヒサムネはカミングアウトしていた。
でも、何故、彼がゲイだと思ったのだろう。


もう5年以上も経っているのに、
突然やってきて、仏壇の前に手を合わせながら、
泣きじゃくり、それで弟の話は何もせずに
帰って行ったのだということだったのだ。

「せっかく来てもらったから、
お茶も出したし、少しは彼の話も
聞きたかったけれど、ただ、ただ
彼の写真を見ながら泣くばかりで」
ということだったらしい。

今さら、亡くなった弟がゲイだったとか、
その彼とどういう関係だったのかを
聞いたところで、彼は戻ってこないことは
よくわかっている。
でも、どうしても気持ち悪い話だったと言う。

ヒサムネは、死んだ弟が
ゲイだと認識したことはないし、
おそらく違うだろう、そう義理の妹に
伝えたのだけれど、なんとも
奇妙でちょっと怖い話だったと話した。

世の中には不思議なことがたくさんある。

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2021年05月11日

祖父と父、そして僕

数日前に、うちの父と母の出会いと、
何故、その父はプロ野球を好んで
観なかったのか、を書いた。

今日も改めて、そんな我が父の話。
彼は母と出会った化粧品会社の営業として
入社する前までは、大学卒業後、
祖父がやっていた海洋サルベージ
という仕事を手伝っていた。

これは海で沈没船を引き上げる、という仕事で
まだ戦後まもなかった当時、
かなり儲かったようだった。

しかし、祖父の女遊びの
激しさがあったからかどうか、
仕事は段々と厳しくなり、会社は倒産。
父は、就職活動をして決まったのが
母も入った化粧品会社だったらしい。

父は京都で暮らした大学時代、
女性にはずいぶんモテたようだった。
僕が言うのもなんだが、
父も母も若い頃は美男美女で
(それで、何故にあなたは?と言わないで。笑)
双方、それなりに良い思いを
したのではないか、と。

ただ、父は母と出会ってからと言うもの、
おそらく女性関係はなかったような気がする。
それには女ぐせが悪い祖父のことがあったのと、
とにかく母を大事にしていたのだろう。

だから、母への嫉妬も強かったようだ。
母がセールスで出る際には
そのほとんどが女性客であることが
わかっていても、とにかく母に
男性を近づけない。

うちに来る御用聞き(こうして書くと
めちゃくちゃ死語。いわゆる訪問販売系)の
人たちにも、絶対に玄関は開けるな、
という父の言葉を母は守り続けていた。

だから、父の死後、年老いた母を
見守りに来る民生委員の男性とかを
うちに入れる、入れないということで
僕と電話で言い争ったこともあった。

そして、父自身、仕事柄、自分の周りに
女性が群がるのも嫌がっていたそうだ。

確かに、父は部下や男友達が多く、
彼らをよくうちに招いており、
その折に、彼らが母を褒めていることを
嬉しそうにしていた。

どうでも良いことではあるけれど、
本当に父は結婚後、母以外の女性と
そのような関係を持たなかったのだろうか。

たまに、父も実は男が好きなのでは?
そう思ったことさえあったくらいだ。

ただ、常に僕たち子供たちと
母を「愛している」と口癖のように
言い続けていたことは嘘ではなかったのだろう。

ゲイとして生きる僕にとって、
父の存在は大きく、憧れではありながらも、
なかなか受け継ぐことが出来ないのが
少しだけ悲しくもある。

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2021年05月07日

父と野球の話

想像通り、緊急事態宣言延長になる、
というニュースが朝刊のトップに躍り出た。

そうだろうことはわかっていたけれど、
目の当たりにすると、やっぱり気が重く、
そんな気力を取り戻すように、
運動をしたり、本を読んだり、映画を観たり、
と同時に、今後の店の展開などを考える日々だ。


このブログも、お客さんとの会話の面白さを
書くことも出来ず、映画の話ばかりするのも
どうかと思い、野暮ながらも自分自身のことや、
考えていることを書き連ねていくしかないかなあ、
段々そんなふうに思ってきた。


昨日、母のことをチラリと書いたけれど、
うちの両親が僕にとって、どういう親で、
どんな家庭だったのか。


うちの母は前の夫との間に二人子供を生んだ。

前の夫は母に激しい暴力を振るう
当時有名なプロ野球の選手であったらしい。

兄に聞くと、大きな池に投げ込まれたり、
太腿でタバコの火を当てたり、それは
酷い状態だったようだ。
そんなこんなで、母は離婚に踏み切った。
まだ戦後10年が経つか経たない当時、
離婚を決意するのは大変だったと思う。

また、二人の子供を育てるのは大変だろうと
弟夫妻が長男を養子として引き取ることになった。


そんな母親の前に、颯爽と現れたのが
3歳年下の父だった。

父は、母が一人で何とか稼ごうと入社した
化粧品会社に入ったばかりの社員で、
二人は東京、祐天寺での社員研修で
出会ったようだ。

父の死後、僕が母を連れて祐天寺に行った時に、
母は「わあ、懐かしい」とつぶやいた。
そして、夜、部屋を抜け出して、
父とデートした時のことを僕に語った。

「お寺から見える満点の星空の下で、
お父さんが話す話は
本当に素敵だったのよ」と。

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父は母とすぐに一緒になりたい、と言ったが、
離婚したばかりの母の両親もそうだったが、
子連れのバツイチと結婚しようとする
父の両親は当然のように猛反対だったと言う。

二人は結婚式をあげることはなく、
籍だけ入れて、駆け落ちをし、僕が生まれた。

父は次男である兄にも精一杯の愛情を
与えたけれど、当然、父にとっての
第一子の僕の誕生は
ものすごい喜びようだったようだった。

それは僕のために作った写真のアルバムと
達筆なコメントを見ると、今更
感謝の気持ちしかない。

IMG_5627 2.jpg

僕が少年時代、誰もが「巨人の星」という
漫画に熱狂し、プロ野球中継を
同級生たちもテレビにかじりついて観ていた。

幼い頃、一切プロ野球などに
まったく関心を持たない父を
恨んでいたものだ。

僕は長いこと、母が父の前に
結婚をしたいたことなど
まったく知らなかったのだ。

ただ、二十歳を超えて
兄から母の前夫の話を聞いた時に、
父がプロ野球を見なかった
その理由がやっとわかり、
申し訳なく思ったのだった。

ゲイであることを自覚した今となっては、
僕自身、野球に関心を持たなかったのは、
そんな父のせいではなく、僕自身の問題だと
それも含めて、今さら父には謝りたい。
この歳になって、そんなふうに思う。

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2021年04月25日

驚きの家族制度

今日から、国と都から休業要請が出されて
来月の11日までお休みとなる!
そんな前日。

15時オープンすぐから、
懐かしい人、いつも来てくれる人たちが
残念だねえ、寂しくなるねと顔を見せてくれて
とても嬉しく、有り難く思った。


そんな中で、38歳になった
常連のイイダちゃんと
一緒に来てくれた友人のタカヤが
「マスター、イイダちゃんの家族の話、
聞きました?」と僕に尋ねる。

え?と聞き返すと、面白い、と言うよりも
彼のようなまだ40にも満たない人の
子供の頃(35年ほど前)なのに、
驚くような家族制度を耳にした。


北陸地方で生まれ育ったイイダちゃんは
お父さんのご両親(つまりイイダちゃんの
祖父母)と、彼のご両親とお姉さんの
6人で暮らしていたようだ。

しかし、イイダちゃんも含めたお母さんと
お姉さんの3人(いわゆる当時のおんな、こども
と言われた3人)は、なんと玄関から
家に入ることが出来なかったのだと言う。

いわゆる勝手口から、
御用聞きの人たち(死語?)のように
家に入っていたのだと言う。

だから、玄関から入ることが出来るのは
祖父母とお父さんだけ。

それは食事の摂りかたも同じで、
イイダちゃんとお母さん、お姉さんは
台所で食事をしたけれど、
祖父母とお父さんはテーブルで食べる、
という具合だった。

風呂の順番ももちろん、イイダ家の家訓は
そこここに、厳しいモノがあったらしい。

そんなイイダちゃんが高校に上がる頃、
おじいさん、おばあさんは亡くなってしまった。

それから生活はガラリと変わった。
お父さんと共に、お母さん、イイダちゃん、
すべての人が玄関から入り、
共にテーブルで食事が出来るようになったと言う。


僕の子供の頃の時代でさえ、
そこまでのことは
あまりなかったけれど、
うちの祖父母の家に行くと、
祖父がいないと食事は始まらなかったし、
一番風呂も、必ず祖父からだった。

東京に長く住んでいると、そういう話は
ほとんど耳にしないけれど、
それでもこういう家族制度って
まだまだ蔓延っているのだろうか。


そんな話をしながら、営業時間は過ぎ、
2021年4月最後の営業は終わった。

お客さんたちと少しの間、
会えないのは残念だけれど、
ブログは出来る限り、書くつもり。
ほぼ映画配信の感想や、僕のくだらない日常に
なるかと思いますが、よろしくです。


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2021年04月15日

ゲイカップルの引っ越し

長い友人でもあるタダシが、テレワークになり、
パートナーの彼と一緒に、
神奈川の地方都市に移り住む、
と聞いたのが去年の今頃だったのだろうか。

初夏の間に、あちらで何軒かの
不動産を周り、やっと山側にある
住居を見つけたのだと聞いた。

それから、あれよ、あれよという間に
引っ越しが決まり、それから車を買い、
犬を飼い、年末にはのんびりとした
素敵な生活に変化したようだ。

パートナーも医療関係に所属しているせいで
すんなりと新しい仕事場が見つかったようだ。

驚いたのは、家を探す時に
不動産に「私たちはゲイのパートナーなのですが、
それでも構わない、という大家さんをお願いします。
あとあと揉めるのが嫌なので」
と伝えたと言う。

タダシの性格や伝え方もあったのか、
そんなこんなでどの不動産屋でも
嫌な思いをした、
ということはなかったのだと言う。

また、移り住んで、近所の人たち、
犬の散歩で知り合う人たちも、
何か尋ねられたら、自分たちは
兄弟や友人でもなく、パートナーだと
伝えているのだけれど、ここでも
まったく変な風になったことはないらしい。

地方都市で、特に他の地域から
移り住んだりするだけで、
問題が起きる、ということを
耳にすることもある。

そして、もちろん、そういうことを
いちいち伝えるのは意味がわからない、
という人もいるかも知れない。

しかし、タダシの話を聞くと、
そこはいかに誠意を持って表現するか、
そしてそのカップルが、一般の夫婦や
恋人同士と変わらない、ひとつの家族である、
そういうふうに伝わるか、
ということなんだと思った。

タダシのような気持ちが伝わることによって、
世の中が変わっていけばいいなあ、
そう感じた。

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2021年04月04日

ふたたび親族の仲

一昨日、あまりに仲が良い兄弟の話を
書いたばかりだけれど、
昨日、東海地方に住むセイヤと
久しぶりにメールをやり取りし、
彼の兄弟関係は少し複雑なようだった。

セイヤのご両親が近年亡くなったのだが、
彼のお兄さんもセイヤと同じく独身で、
長年公務員で東京に勤めているらしい。
そういう理由もあり、セイヤは
お父さんの会社を継いでいる。

コロナが蔓延し、ほぼテレワークになって
そのお兄さんが実家に戻ったのだが、
ほぼ三食、セイヤが作るのだそうだ。

料理が好きなセイヤだが、
かなりグルメな兄は
セイヤの作るモノに対して、
何かと意見を言うらしい。

だったら自分で作れよ、と思いながらも
あまり険悪になるのも、と思って
我慢する日々なのだそうだ。

なおかつ、お父さんが亡くなった後、
相続税について、
墓、仏壇、そして永代供養、
資産、そして土地の名義変更、
それはほぼすべて兄がやらずに
セイヤがやってきたのだそうだ。

穏やかなセイヤは文句も言わずに
それらをやってのけていると言うから凄い。

また、後継がいないため、
実家の多々あるモノを少しずつ
終活に向かって整理をしているのだとか。

話を聞いていると、お金に困ることは
なさそうなのが何よりだけれど、
逆に残されたモノはほとんどない僕としては
そのほうが楽だったりするのだ、と
つくづく思った。

本当に、ゲイにも
それぞれの家庭事情がある。

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2021年04月02日

親族の仲

僕と同世代のヤマノイちゃんは、
男ばかり三人兄弟の真ん中。

このブログにもよく書くけれど、
兄弟や家族間で結構問題が多い人も
多い中で、ヤマノイちゃん兄弟は
すこぶる仲が良いとのこと。

つい最近も兄弟で山登りをして、
美味しいモノを食べて、色々語ったとか。

そして、その兄、弟の子供たちも
みんな成人しており、
ヤマノイちゃんの御両親が亡くなった今、
三兄弟、子供たちと共に食事をしたり、
ということもかなり多いらしい。

ただ、ヤマノイちゃんは誰にも
カミングアウトしていない。
結婚だとか、彼女は?という
話もずいぶん前から出てこない、
ということは何となく
わかっているのではとも思うようだ。

そんな中で、一人の甥っ子は、
何か自分と似ているような、
ひょっとしたらゲイではないか、と
思われるふしがところどころにあるとも言う。

二人で食事をしても、
おそらく親(ヤマノイちゃんの兄)よりも
ヤマノイちゃんと話していたほうが楽なのだろう
そう感じたりするらしい。

万が一、彼がストレートだとしても、
自分のことは受け入れてくれるような気がする、と。

近いうちに、食事帰りにでも
連れて来るかも、と言ってくれていて、
写真を見せてくれたのだが、
あまりにヤマノイちゃんに似ていたので
本当に驚いた。

会えるのが、楽しみだ。

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