数日前に書いたKEELのマサの訃報。
僕の記憶の中でマサを知っている人たちには
出来るだけ伝えようと連絡をした。
連絡先は知らなかったけれど、KEELと言えば、
うちの店と同様、大きな窓があった、と
懐かしさから、10年ぶりに来ていただいた
ユタカさんもいた。
彼はKEELオープンした2年後くらいから
最後の日まで毎週のように通っていたらしく、
ラストにみんなで中孝介氏の「それぞれに」を
泣きながら歌ったと言っていて、
うちの店でかけてほしいと言ってくれて、
僕もその曲を初めて聴いて、
マサを追悼した。
僕が連絡した中で、ヨネちゃんという
マサが2丁目に出て来たばかりの頃の
マサが2丁目に出て来たばかりの頃の
旧友が、ユタカさんが来てくれた、
その翌日に訪れてくれた。
ヨネちゃんとは、30年以上前にマサを
介して会ったのだった。
口数が少なく、物静かで穏やかな彼だが、
僕とパートナーが一緒に住み始めた頃に
うちのホームパーティに一人で
来てくれたこともあった。
ただ、僕も店を始めて忙しくなり、
たまに行ったKEELでも会うことがなく、
最後に会ってから20年ばかり経ったある日、
ヨネちゃんは店にぶらりと来てくれた。
それから数回来てもらうこともあったけれど、
その後、コロナになり、今回、僕の連絡から
久しぶりにまた来てくれたのだった。
SNSをやっていないというヨネちゃんに
マサの元気だった頃のインスタグラムを
見せたりして、昔話をした。
そして、その翌日、ヨネちゃんから
改めてお礼の連絡が入り(お礼を伝えたいのは
こちらのほうなのに)、
そのメールに、絵を描いている彼が
ホームページをやっていることが書かれていた。
その頃から絵を描いている、という話は
聞いていた。しかし、HPを見させてもらうと、
まさに僕の敬愛するアンドリュー・ワイエスを
彷彿とさせる筆使いの絵がそこにあった。
僕は若い頃に観た「天国の日々」という
大好きな映画で、監督がワイエスの
「クリスティーナの世界」をイメージして
撮影した、ということから
この画家の存在を知ったのだった。
ヨネちゃんの絵の中で、ほんのり薄暗い
光の中で働く労働者の姿がある。
そこには沖縄で肉体労働をしていた、
そこには沖縄で肉体労働をしていた、
と言うマサの姿さえ思い浮かべたりしてしまう。
日本なのか、異国の地なのか、
そんな風景で浮き上がってくる
人物像は、ひと昔前のまったく
便利ではなかった時代の一コマだったりする。
ヨネちゃんの作品と出会えたのも、
「それぞれに」という歌も、
マサが改めて繋げてくれたのだ、
そう思ったりする。
ちなみに、ヨネちゃんに了解をとったので
もしよろしければ、彼のギャラリーをどうぞ。
近々、店のリンクにも載せさせてもらうつもりだ。
https://yone-junichiro.com/#profile
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