先日、このブログにも書いた91歳で
亡くなられたAさんの告別式が親族と
親しい人たちで行われたようだ。
パートナーのMさんは、とても
パートナーのMさんは、とても
しっかりされていて、テキパキと
葬儀を取り仕切っていらっしゃったらしい。
50年近いパートナーを失くされて、
悲しく辛かったんだろうと想像していたけれど、
すべてをやり切ったというある種の
清々しささえ感じていたのではないかとのこと。
Aさんは、それなりに名前がある方だったので、
各メディアの訃報欄掲載も、Mさん御自身が
そのまま記事に使用できるようにまとめたモノを
送られたようで、とてもしっかりされていたとも聞いた。
そのまま記事に使用できるようにまとめたモノを
送られたようで、とてもしっかりされていたとも聞いた。
素晴らしいのは、おふた方とも
残されているご親族がその関係を
きちんと受け入れられているということだ。
そんなMさんにお悔やみのメールを
お送りしたら、すぐに返事をいただいた。
そこには「僕たちの48年は本当に早かった。
今年、49年目、あと1年で50年目とは
思っていましたが、去年在宅酸素を設置してから
本人も病人だと認識したようで、
目に見えて体力が落ちていきました。」
とあった。
それでも日曜日ごとに、車椅子で近所まで出かけて、
途中は歩くという事を続けられたらしいけれど、
歩く距離はどんどん短くなったらしい。
それでも、今まで近いのに、まったく
目に見えて体力が落ちていきました。」
とあった。
それでも日曜日ごとに、車椅子で近所まで出かけて、
途中は歩くという事を続けられたらしいけれど、
歩く距離はどんどん短くなったらしい。
それでも、今まで近いのに、まったく
歩くことがなかった街並みを散策することに関心を持たれ、
地図まで買い込んで楽しまれていたようだ。
暮れの12月には、体調を崩されていても、
洗濯や、食事の後片付けも一緒にされていたようで、
いつもは人を集めるお正月は
「なんだか新婚のようだ」と、
お節をつままれていたらしい。
その2日後、倒れられ、
その2日後、倒れられ、
2週間で逝かれたようだけれど、
Mさんは仕事を休み、自宅で看護し、
最後の晩まで添い寝でき、
自宅で看取ることが出来たことを
Mさんは仕事を休み、自宅で看護し、
最後の晩まで添い寝でき、
自宅で看取ることが出来たことを
幸福に感じられているようだった。
同性婚など、ままならないこの日本で
同性婚など、ままならないこの日本で
お二人のようにこういう形でお別れが
出来たのは本当に幸せなのかも知れない。
パートナーであるということは、
ストレートであれ、同性愛者であれ、
ごくごく自然なことなのだ。
こういう話を聞くと、あとに続く我々は
きちんと学んで、生活に、そして世の中に
生かしていかなければならないなあ、
そう思う。
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