1992年に自殺したとされている
ニューヨークのトランスジェンダーの
死因を追うドキュメンタリーを観た。
「マーシャ・P・ジョンソンの生と死」がそれだ。

アクティビストだったトランスジェンダーの
マーシャが、本当に自殺だったのか、
ひょっとして、実は殺されたのではないか、
その真実を追い続ける一人のトランス女性、
ビクトリア・クルス。
これを観ると、ゲイやレズビアンよりも
ずっと最近までトランスの人たちは
物凄い差別を受けて
傷ついていたことがよくわかる。
70年代にLGBTのコミュニティーで発言を
しようとした彼女たちは
当事者であるゲイたちから
物凄い暴言、ブーイングを浴びせさせられる。
日本ではドラッグ・クイーンや女装家、と
言われる人の多くはゲイであり、
(マツコ・デラックスや
ミッツ・マングローブなど)
ミッツ・マングローブなど)
トランスジェンダーのM to F
(男性として生まれて女性であると
確信している人たち)は、
女装、ではなく、(はるな愛や、KABAちゃんなど)
単純に女性として
生きていきたい、と思っている。
しかし、この映画を観ると、アメリカの
トランスジェンダーとゲイのドラッグは
同一線上にあったりする。
今は違うかもしれないけれど、少なくとも
2000年前まではそうだったように見える。
いずれにしても、ストレートの子供たちが
ゲイの人間を「男オンナ」と揶揄したように、
男性性、いわゆるマチズモに憧れる多くのゲイは
ドラッグであれ、トランスであれ、女性的なモノを
否定する、そういう傾向は、日本でも、
いや、日本のほうが強いのかも知れない。
かく言う僕だって、かつてはそうだったから
今さら、こういう映画を観るとよく理解できる。
「性的にはまったく関心がない」という事と
女性的だから人としてもダメ、
という事をひと括りにして考えてしまうのだ。
だから、女性的な部分が少しでもあっただけで
否定的な感情が芽生え、それが差別にも繋がる。
「自由自在に生きる人」
(それはLGBTだけでなく、選んで生きる
ホームレスや、いでたちが変わっている人間も含めて)、
そういう人たちを、世の中の多くの人たちが
受け入れられない、受け入れたくない。
それは、「普通」という言葉に隠されている
個々の心の中にある問題なのだ。
いまだになくなっていない
「生理的嫌悪感だからどうしようもない」
そう言い切ってしまうことから生まれる偏見や
差別、それがそうでない人たちを
どれほど苦しめ、辛い思いをさせているのか。
自分自身の中にもある、深く暗いテーマを
この映画はえぐり出してくれた。
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