昨夜、遅い時間に来てくれたユキオ。
つい最近、ユキオは
友人が急死してしまって
その時に何人かの友人から
「お通夜とお葬式、どちらに行く?」とか
「何時くらいに着く?」とか聞かれて、
とても違和感を持ったと言う。
何故、故人を偲ぶ場所を、
まるでパーティのような交流と思うのか
ワケがわからなかったと言う。
そこから、ユキオと僕とで
集団行動、そして一人で行動する、
ということについて色々と話をしはじめた。
僕は、昔からどちらかと言うと
かなりの恋愛至上主義のようなところは
あったけれど、それでも基本的に依存体質ではない、
そう思っている。
ユキオも同様だが、恋愛も
依存の一種だと考えているようで、
そこは少し僕とは違っていた。
僕はパートナーというのが、
常に寄り添って生きていく、
ということではないと思っている。
それぞれが自立していた上で
何か困ったことがあった時には、
支え合える形が理想的だと。
基本的には、僕はなんでも
一人でやることが好きだ。
よく、お客さんに「映画や舞台など
絶対、一人では行けない、行かない。
まして、一人旅など、ワケがわからない」と
言われたりする。
ボランティアに行った話をすると
「ひとりで?」と聞かれて
ちょっと唖然とした。
ボランティアとは、
誘いあって行くものだろうか、と。
ユキオも僕もそうだが、
決して人との交流が嫌だというワケではない。
大勢でいることが楽しいと
思うことだってある。
そして、もちろん、寂しい、という感情もある。
海外を旅などして、食事をする時には
誰かと話をしながら、食べたいとも思う。
ただ「つるむ」というのが
苦手なのだろう。
色々考えてみると、団体行動からくる
「仲間意識」というモノが
強く生まれてくると、そこからこぼれてしまう人、
誘われなかったりする人や、
排除されたりする人、
そういうことをついつい、
考えてしまったりするのかも知れない。
それは協調性がない、ということとは
まったく違う話だったりする。
だから、昔から団体スポーツをやるよりも、
個人で黙々とやる、もしくは
一対一で対戦する、というほうが
性に合っていたのかも知れない。
ユキオと話しながら、
そんなことを考えた一夜だった。
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