2019年08月17日

フィリピン移民の子として

ジョージ君35歳は、
6歳の時に、両親の都合で
フィリピンから日本に来た。

ジョージ君がマニラで生まれた頃、
お父さんは一人で出稼ぎで日本に来て
ショーパブで働いていたのだと言う。

父親の賃金は、マニラで働くよりも
かなり良かったようだった。
そのショーパブの日本人の主人が、
ビザはなんとかなるから
家族で日本にう移れば、という話があり、
母親、ジョージ君、妹も含めて
埼玉に移り住んだ。

しかし、パブの主人の話は
決行いい加減で、父親は何度も
警察に不審尋問され、
強制送還されそうにもなったと言う。

あまり目立たないようにしろと言われ、
隠れるような生活の中で、
母親の尽力もあり、小学校に入った。

彼がフィリピン時代、大好きだった
日本のアニメの話で友人を作ろうと
努力したけれど、
最初はなかなかうまくいかなかった。

ジョージ君いわく、「ボルテスファイブ」という
日本製のアニメーションがマニラでは
大ヒットしていて、そのグッズが
欲しかったけれど、誰も知らないという現実。

それでも、どらえもんやナルトなどで
必死に日本人の子供たちと
なんとか仲良くしようと努力したようだけど、
当然にように、不当ないじめも受けた。

そんな中、両親はなんとか就労ビザを取り、
二人の子供たちを高校まで行かせてくれた。


中学、高校と進む中でジョージ君は
フィリピン人というアイデンティティと共に
ゲイであることにも悩み始める。

ジョージ君は、自分自身のことを
悩み相談に行き、そこで紹介された
同性愛者の若い弁護士によって、
在留特別許可というモノを知る。

それまで、病気になっても保険も使えず、
高熱を出しながら仕事に行っていた両親や、
今後将来への不安。

法務省を何度か訪ね、
ありとあらゆる難問の中で
ジョージ君はやっと許可を取れたのだそうだ。
家族で輪になって泣いたことは今でも
忘れられない、そう言う。

30年近く日本に住み、日本人の恋人と7年
付き合っているジョージ君は、
自分は日本人だと思っている、そう言う。

一般企業に勤めることが出来、
今では社内でのLGBT対策について
勉強しながらの日々だそうだ。

見かけは少し違っても、
彼はいつか日本で同性婚が出来れば良いなあ、
そんなジョージ君の希望。

この国は、彼にそういう門戸を開いてくれることが
出来るようになるのだろうか。

少子化も含めて、彼ら外国人たちを
どう受け入れていくべきか、
大きく考えさせられた夜だった。

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posted by みつあき at 18:27| Comment(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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