ユウゴさんは、僕がこの店をやるずっと前から
他店などで僕を見かけてくれていたというお客さん。
店を始めてから数回、
来てくれてはいるけれど、
前に僕と会ったのが8年も9年も前だということ。
顔だけは覚えているけれど、
細かくはわからなかった。
パリ在住で、帰国するのが
年に一度くらいで、数年前にいらっしゃった時は
他のスタッフだったそうだった。
ただ、ちょっと話をしたら、
日本で知り合ったフランス人の彼と共に
40歳になる前に二人でパリへ行ったのだ、
という話を以前してくれたのを思い出した。
そして、20年連れ添った彼は
なんと去年、肺ガンで亡くなったということだった。
まだ、52歳という若さだった。
昨日のブログでも、僕と同い年で亡くなられた
お客さんのお父さんの話を書いたけれど、
連日、ちょっと重い話になってしまう。
ユウゴさんの彼のガンが発覚したのは
今から6年前の2013年。
フランスで同性婚が成立した
その年だったと言う。
もちろん、彼らは結婚をしたらしいが、
2013年という年は
ユウゴさんカップルにとって、
喜びと苦しみが一緒に起こった
大きく意味を持つ年だったようだ。
当初、パートナーは、
余命3ヶ月と言われたらしいが
良い薬と巡り会えたおかげで、
そのあと、彼は5年生き延びることが出来たと言う。
20年のうちの5年間、
つまり二人が付き合ったうちの
4分の1は、ほぼ病気と闘った日々だった。
ユウゴさんは二人が付き合い始めてからの
20年間に撮った写真を小さなアルバムに
していて、僕に見せてくれた。
「会ったこと、ありませんか?」
そう言われて、見てみると、僕はそのフランス人の彼を
覚えていた。
僕が店をやるずっと前に、一言、ふた言、
会話したことがあった。
その小さなアルバムで笑っている二人の笑顔は
本当に素敵だった。
ユウゴさんは言った。
あと、彼はそんなに長く生きていけない、
それはわかっていたし、
覚悟も出来ていた。
身体が弱くなっていき、
刻一刻とその日、
その時間が近づいてくるのが理解できても、
やはり想像が出来ていなかったのだそうだ。
でも、これだけ長く愛していた人が
目の前で息を引き取った瞬間、
本当に頭の中が真っ白になり、
これほどの辛さ、悲しさがあるだろうか、
そう強く感じたと言う。
父親が亡くなった時の悲しさとは違った。
あの時、母親は気が違ったのかと
思うほど嗚咽していた。
その意味、気持ちが、
今回、初めてわかったのだと言う。
二人でパリで買った広い家に一人で住み、
残された彼の親御さんや兄弟にも
親切にしてもらっていながらも、
このポッカリ空いた穴を
どうやって埋めればいいだろう。
そう思う日々のようだ。
今まで何人ものお客さんのパートナーの死を
耳にした。
幸いにして、僕は今まで付き合った誰とも
まだ永遠の別れをしたことがない。
でも、必ずいつの日か、そういう思いを
することがあるのだ。
そして、昨日も書いたように、それはまるで
決められたように線が引かれてしまうんだろう。
ユウゴさん自身が決して鼓舞したり、
頑張ろうとしたりせずに、
その都度感じる気持ちを吐き出していく
というふうにしているところが
今後のユウゴさんの行く道を決めるのだろう。
そう思った。
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