2019年01月26日

つきせぬ母への思い

タスクさんは、僕よりも少し若いけれど、
少しコワモテで若いコが憧れるような
素敵なミドルエイジだ。

彼は都内から少し離れている
ということもあってか、
たまにしかお店には来られない。
去年の11月頃に来てくれた時に、
ここのブログで僕が母のことを
書いていた記事を読んでくれていた。
そして、彼もお母さんを
半年前に介護施設に預けるようになり、
毎週末、顔を見に行っていると言っていた。

昨日、今年、初めて
うちの店に来てくれた。
最初はざわざわとした中、
僕は相手も出来ず、
バタバタと動いていた。
その間、特に隣の人と話すこともなく、
ゆっくりとお酒を飲むタスクさんの
ちょっと遠い目が気になった。

落ち着いてから、
「お母様の具合はどう?」と尋ねると、
少しだけ潤んだ瞳で
「ついこの間、
9日の日に亡くなりました」
タスクさんはそう言った。
まだ、2週間と少し前のことだ。

うちの母親と同じ90歳で、
去年の暮れから意識が遠のき、
そのまま最後の言葉も交わさず、
逝かれたのだと言う。

うちの母は介護施設に入って
(途中、施設を変えたことも入れて)3年だったが、
タスクさんのお母様はたった半年。

施設には本当にお世話になったけれど、
でも、やっぱり入居してから
それまでの「気」のようなモノが
ちょっと失せたような気がした、僕がそう言うと
それはタスクさんのお母様も
同様だったのだそうだ。

タスクさんは、お兄さんがいるけれど、
彼がお母様と同居していたこともあり、
喪主を務められたと言う。
その辺りは、僕とも似ている。

半年経って、1年経って、
そして3年経った今も、
ふとした瞬間に母のことを思うと
何とも言えない寂寥感に
さいなまれることがある。

タスクさんは、まだまだ
そんな気持ちのまっただなかにいるんだろう。
90歳、大往生と言っても、
子供の心にはありとあらゆる
後悔の念はなくならない。

両親に恩を返すことは
自分の子供を作り、
育てあげることだったりする。

そんなことを思いながらも、
自分に言い聞かせるのが
僕がまだ赤ん坊だった頃、
または少年だった頃、
母の胸の中で抱かれていたあの感覚を
きちんと思い出すことだ。

image 2.jpeg

あの心地良かった気持ちさえ
忘れずにいることが
きっと母への感謝と供養になるんじゃないか
そんなふうに思ってしまう。

タスクさんのお母様のご冥福をお祈りします。

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posted by みつあき at 13:50| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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