2018年03月22日

今年初の仙台

去年、癌を宣告された友人ヤスを訪ねて
初夏に何十年かぶりに、
仙台に行ったことはこのブログでも書いた。


その後、一人暮らしで
なかなか思うようにならない
ヤスは、施設に入ることになり、
夏に改めて見舞いに行った時は
まだまだ元気だった。

その時は若い頃の昔話だけではなく、
来たりくる将来の思いなどを話し、
まだまだやりたいことがたくさんある、
と話していて、逆に元気をもらったほどだった。

ただ、その後、秋口になり、
体調がすこぶる悪くなり、
入退院を繰り返していた矢先、
転んで足を骨折、
病気のこともあり、
足を切断するということになってしまった。

そこまでは本人と電話で話をしていたのだが、
それから数日後、出血多量で
意識不明になったと連絡があり、
11月に見舞った時には
うっすらと目はあくものの、
まったく動けず、
大きな声で語りかける僕の声も
聞こえているのかどうか、
ままならない感じだった。

正直、この時が最後の別れかも知れない。
僕はそう思った。

その後、意識はないものの、呼吸はしていて
なんとか命は持っていると妹さんから連絡があり、
今年になってすぐに改めて顔を見ようとしたところ、
インフルエンザの拡大もあり、
面会謝絶とのことだった。

この寒い1月、2月、
妹さんによると、ヤスは意識が微妙ながらも
ほんの少しずつ、体調を戻していっている
という話だった。

やっと面会も出来ると連絡があり、
一昨日に、会いに行くことにした。

ヤスの病室に入るやいなや、
なんと、ヤスは大きく僕のほうを見て、
ううっと唸り、何か聞き取れない言葉を発した。

僕は「俺だよ、わかる?」と声をかけると
「わかるよ、わかる」と
はっきりとヤスは言った。

そのあと、ヤスの部屋で撮った写真を
僕がスマホで見せると
うんうんと頷き、笑顔も見せた。
確実に僕のことも、前にヤスの家に行ったことも
彼には理解できていた。

それから1時間半ほど、ヤスの病室で
ヤスの顔を眺め、時には手を握り、
僕はヤスと話をした。

いや。ヤスが言っていることがほとんど
聞き取れないので、話をした、というのは
少し間違いなのかも知れない。

ただ、ところどころではっきりと聞こえるのは
「大丈夫?」という言葉だった。
これは東京から来た僕を案じてくれているのか、
それとも「俺は大丈夫だから、安心してくれ」
ということなのか。

彼の枕もとには、
彼の友人たち、妹さんなどが
持参したものだろう
ヤスが元気だった頃の
バンドでドラムやベースを奏でた時の写真や
CDが並べてあり、
いつでも見聞き出来るようになっていた。



いずれにしても、
末期ガンで余命を2年前に宣告され、
足を切断し、意識も失い、
一時期は植物状態になるのかもしれない、
そう思ったヤスの生命力の強さには
本当に驚き、頭が下がった。

東京は雨、という予報の一昨日、
晴れ渡る仙台の空のを窓から見ながら、
僕はまた近いうちに顔を見に訪れることを
約束をした。

少なくとも、年末のように、
これが最後かも、
などという愚かな僕の思いなど
ヤスの笑顔がすっかりと打ち消してくれた。

もう少し暖かくなって、また驚くほど
元気になってくれることを祈りながら
僕は仙台をあとにした。

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posted by みつあき at 15:20| Comment(0) | 友情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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