2017年04月26日

親友の元へ その2

仙台から高速バスを使って小1時間。
35年も前に行ったはずのヤスの自宅の様子は
ほとんど覚えていなかった。

一人で生活しているというヤスだが
「着いたよ」と電話すると、
「そのまま入って」と言われ、
扉を開けると、居間に設置された
介護用ベッドに横たわっているヤスがいた。

35年だか32年だかわからないけれど、
とにかくそれくらい長い時間が経過していた。
髪は薄くなり、皺も増えてはいた。
でも、そのキラキラした瞳と、笑顔は
まぎれもなく、昔と変わらないヤスだった。

「遠いところ、よく来てくれたな」
と握ってくれる手は、十分に力強く、
想像よりも元気そうに見えた。

しかし、腰の痛みがかなりひどく、
トイレや風呂に入る以外は、
ほぼ横になっていると言っていた。

かなり良くなっている患者さんが多い、
という食事療法。
3週間前は3日ほどは一食に梅干しひとつだけ、
それにおかゆが加わったのが一週間、
そしてここ何日かは蕎麦を1日に一食、
また明日くらいから有機野菜のカレーを
少し食べられそうだということだった。


それにしても、ヤスがとても恵まれているのは
その性格からか、多くの友人や元奥さん、
そして妹さんなどが毎日のように覗きに来てくれている。

僕がいたこの2日間も、10年来の友人という
ジャニスと言われるヤスと同世代のおばちゃんが
腰の痛みをとるマットレスを持って來たり、
食事を作ったりしてくれる。
その間中、関西生まれのジャニスは
大阪弁で面白い話をまくしたてながら、
僕やヤスは大爆笑した。

長い間、バンドをやっていたヤスは、
震災後、2年目くらいにカメラ屋を締め、
ライブハウスをやっていたようだった。

そして、つい数週間前には古い仲間が集い、
ヤスがドラムやベースをやった、という
ビデオを見せてくれたりもした。

本当に素晴らしい仲間に囲まれているようだった。

しかし、ヤスには本当に辛い時期もあったようだ。
お父さんの急死と、娘さんの大怪我、
そのショックから倒れたお母さん。

義理の母の介護で精神を病んでしまった奥さん。
そんなことから、もう迷惑をかけられないと
ヤスは離婚を決意したのだそうだ。

その後の震災も含めて、ヤスに降りかかった大きな出来事。

僕が長い間、クローゼットで、やっとゲイとして
胸を張って生きていこう、と決めたことも含めて、
会えなかった35年を埋めるように、
とめどなくお互いの話をした。

色々なことがあっても、「大丈夫」と笑う
ヤスの強さ、ポジティブさに、
まだまだ健康な僕のほうが
たくさん元気づけられた2日間だった。

再来月だか、また病院に来るために
上京するとのこと。

その時は、まださすがに酒は飲めないだろうけれど、
お互いに二十歳前後だったあの頃のように、
また腹を抱えて涙が出るほど
爆笑しながら、美味しい酒が飲める日が来ることを
二人で誓い合って、僕は宮城をあとにした。




posted by みつあき at 18:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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