もうひとつの辛い出来事は、
友人のパートナーの葬儀がある
2日前の深夜に、日本から連絡があった。
それは、僕が30年以上前に知り合った同い年の友人、
オダが亡くなったという知らせだった。
その知らせを教えてくれたのは、
僕はまったく知らなかったが、オダが数年前に
少しの間だけ付き合っていた、
という元彼のTさんからだった。
オダは僕が店をオープンしてから
数ヶ月に一度、店に来てくれてはいた。
この春、久しぶりに来てくれた時に、
「体調を壊し、咽頭炎を患った。」と
かすれるような声で話していたが、
「でも、大丈夫」とワインを飲んだりしていたのだ。
それから半年ほど経った先月、
Tさんが突然、店にいらっしゃった。
前にオダと一度だけ一緒に来て、
僕とオダが古くからの友人であったことを知り、
とにかくその時の現状を伝えたい、ということだった。
実は、オダは昨年の夏ころから喉の状態が悪く、
最初は風邪かと思ったけれど、長引くので
検査をしていくと、咽頭癌と
食道癌だと診断されたようだった。
秋から冬にかけて、抗がん剤投与を開始し、
とりあえず手術で完治する可能性がある、
という明るい報告があり、
その頃、うちの店に来てくれたのだそうだった。
もちろん癌であることを僕には伏せて。
ただ、その後、手術の可能性は消滅。
そして熱の高騰や肺炎一歩手前など
大変な状態となり、
ガン専門の病院に入ったけれど、
まったく効く薬がない。
別の県にある病院の治療薬があるかもしれない、
そういう話から本人は諦めず、入院している病院に頼み込み、
他県の病院に移った。
しかし、治験薬の副作用により、
食事も水もすべて出来なくなったようだった。
そして、気管切開の必要性も話されたが
本人の希望もあって、
彼が住む地元の病院に移動、
緩和ケアへ移行と決定したのが先月末だった。
Tさんは病院を移動するたびに、
見舞いに行ったが、
まったくのクローゼットだったオダなので、
家族に会わないように調整するのは
本当に大変だったらしい。
Tさんは、オダに、古くからの友人に
伝えたほうがいいんじゃないか、
会える時に会ったほうが良いんじゃないか、と
言ったけれど、体重が70キロ台から30キロ台に落ちており、
こんな身体を見せられない、そう言っていたそうだ。
とりあえず、どうなるかわからない。
ひょっとしたら、このまま最悪の状態になるかも。
でも、本人の強い意志が救ってくれるかもしれない。
そんな話を、Tさんは深夜の店でしてくれたのだった。
それからひと月。メールのやり取りが突然途絶え、
Tさんは病院に向かった。
オダの病室はもぬけの空で、その日の早朝、
彼は逝ってしまったとのことだった。
まだ20代、この世界のことを
まだほとんどわからなかった僕は
同い年のオダと意気投合、
よく一緒に飲んで楽しい日を送った。
当時は僕自身もクローゼットな日々を送っていたが、
国家公務員という特殊な仕事であった彼は、
あらゆるシーンでひた隠しにしていた。
そんな彼と、もう一人の友人、
そして当時僕が付き合っていたBFと
4人で八丈島に行ったことがあった。
まだ若かった僕たちは、飲みまくり、
海で泳ぎまくり、騒ぎに騒いだ。
サーフィンをやっていた、という海育ちの
Oはその厚い胸板を特に
誇示することもなかったけれど、
当時、十分に魅力的だった。
その時の多くの写真は僕の手元にあり、
一度、彼に見せようと店に
持って来ていたこともあった。
そんな彼が「友人には元気な身体を見せたい。
だから、それまでは内緒にしておいて。
絶対、治ってみせる。」
と言っていたのは、ちょっとわかる気がする。
食べられないストレスから、治った時は
あれが食べたい、これがほしい、
お酒が飲みたい、ハッテン場にも行きたいと
時には冗談めかしたように
Tさんにメールをしていたようだ。
昔付き合ったとは言え、Tさんの手を触るのも、
顔を触られるのも拒んでいたらしいけれど、
緩和ケアが始まった頃、
「俺はもうダメなのかなあ」そう言いながら、
Tさんの手を強く握るようになったそうだ。
色々な人の思いが、オダにはどう伝わったか
わからないけれど、オダは手厚く見守ってくれた
Tさんには心から感謝しているに違いない。
彼らがどういうふうに出会い、付き合い、
別れたのか、今の僕はそれは知らない。
いつか、Tさんが落ち着いたら、ゆっくりと
話してくれるだろう。
人には出会いと別れがある。
死ぬ、という行為だけでなく、数限りなく
別れがある。
でも、そのひとつ、ひとつにはきっと意味がある。
出会えた喜びと、別れる切なさ、悲しさ。
でも、二人はそれを乗り越えて、
新たな素晴らしい絆を作ったのだと思う。
いつも、新しい男がほしい、
なんて言っていたけれど、
所詮、クローゼットでこ
の年齢の俺にはもう出来ない。
そんなふうに笑っていたOにとって、
Tさんは大きな存在になったはずだ。
同時に、Tさんの心の中には
NYの親友と共に、大きな穴が
空いてしまったんだと思う。
ここのところ、毎年のように
何人かの人を見送ることが増えた。
特に今年は、実の母親、
育てられた映画プロデューサー、
親友のパートナー、そしてオダ。
これから、もっともっと増えていくかも知れない。
もうそういう年齢なのだ。
僕自身も、いつ、どうなるか、わからないのだ。
人の死は重く、辛く、悲しい。
一度きりの人生を、
どう悔いなく生きていくか。
旅行中、一作、一作、ブロードウェイのショウを
心ゆくまで堪能しながら、
その中で多くの亡くなった人たちを思った。
いつもなら、ただ楽しいだけのショウが、
今回の僕の心の中を深く、
感慨深いものにさせてくれた。
このあと、亡くなった人を弔う気持ちで
経験したショウの感想を書きたい、そう思う。
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