先日、地方で宣伝をしてくれたと言う
ヤマセ君から聞いた、と
お客さんが、今日も一人、来ていただいた。
彼が学生の頃、新宿2丁目に来た頃は、
まだ赤線だったと言うから
ひょっとして、70近い方だったのかも知れない。
その頃あったゲイ・バーの半数近くは、観光バー
(いわゆるストレート相手の女装バー)で、
それ以外は、クラシックやジャズの話に、
熱い恋愛話、そして下半身の話も交えて、
多いに盛り上がったりしていた、と言う。
今も同様の話題もありますが、と言うと、
「当時はもっと密やかで、隠れた淫靡さがあった。
良くも、悪くも、今ほどあけっぴろげじゃない」と言われた。
なるほど。
僕が初めて街に出た25年とちょっと前
(それでも十分古い話だけれど)は、
さほど今と変わらないような気もするけれど、
確かに今よりも、もう少し淫靡さがあり、
平日でも押すな、押すなの大賑わい、というお店もあったことは事実。
そんな話を聞きながら、
ウィキペディアで「赤線」そして「新宿二丁目」と
色々調べてみると、なかなか興味深い話も書いてある。
それを読んでみると、僕が街に出だした頃は
「薔薇族」「アドン」「さぶ」などの雑誌が
積極的に2丁目をとりあげだし、
「新宿二丁目」=「ゲイタウン」という図式が
出来上がった頃であることを改めて気が付く。
淫靡さがどんどん失われていき、
比較的健全な街へと変貌しつつある
この街を憂うのか、喜ぶべきなのか。
そして、人に因っては、このネット時代、
新宿二丁目が果たした役割は終わった、
とも言っている。
考えかたは、それぞれだけど、いずれにしても、
僕に課せられた課題は、独自のスタイルで、
この2000年代のバーを
作っていくことなんだろうなあ・・・。
そんなことをふと考えさせてもらえた一夜だった。
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