一昨日、片付けモノをしていたら、
なんと19歳から20歳の1年間の
日記が出てきた。
日記と言っても、40文字くらいの
短いモノで、その日、何をやったか。
その行動から何を得たか、どう思ったかなど、
簡単に書いてある。
改めて読んでみると、大学を中退しようと
決断する経緯や、それこそ、バイトと
映画館に明け暮れていた日々が
思い出される。
最近はつい1年前に観た映画でも
忘れているのに、さすがにこの頃に
観た映画は、はっきりと覚えている。
そして、それよりも何よりも驚いたのが
当時は、まったく自分がゲイであることなど
まったく受け入れていないことだ。
受け入れているどころか、
女性を好きだと思い込んでいたことが
とても強く書かれている。
それまで、性的に男性に興味があることも
わかってはいたし、高校時代、
寮で、地味だが、それなりの
性行為を何人かとやっていた。
それでも、日記には、あの女のコが
可愛かった、どうやったら近づくことが
出来るか、などと書かれている。
あの当時、ゲイというアンデンティティを
ほとんど誰も語ることなく、
そういう人たちが存在していることさえ
知らなかったのだ。
レストランのバイトで知り合った2歳年上の
ヤス(彼はコロナ前に癌で亡くなったが、
http://bar-bridge.seesaa.net/article/458212472.html)
http://bar-bridge.seesaa.net/article/458212472.html)
この時期、僕は確実に彼に憧れ、
好きだったことは事実だ。
それは結局本人はおろか、
誰に話すこともなく、日記にさえ
書くこともしていなかったことに
驚いたりする。
そしてこの日記は、レストランから
米軍のホテルのアルバイトに移る直前のモノで、
そのホテルで知り合った同い年の
女のコと、そのあと8年近く付き合うことに
なったのだ。
その後、5年ほど経ち、初めて行った
新宿2丁目は店こそ賑わっていたものの、
2丁目の仲通りさえ、週末でも
ひっそりとしていた。
それから数十年。
世の中も、街も、そして自分自身も
大きく変化した。
しかし、二十歳前後の僕も決して
嘘ではなく、自分がどういうふうに
生きていけばいいのか、
必死に模索をしていたのだろう。
そう思う。
日記の端々から読み取ろうとするけれど、
やっぱり当時の自分では、男が好きである、
ということを受け入れたり、
認めたくはなかったのだろう。
ゲイ映画の最高峰かとも思われる
ゲイ映画の最高峰かとも思われる
「ベニスに死す」でさえ、
よくわからなかった、と書かれてあったのが
今思うと、あまりにも幼いというか、
不思議な気がするのだ。
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