2022年03月09日

長谷川博史さんの逝去を知って

ピンクベアこと、長谷川博史さんと言えば、
多くのゲイの人は耳にしたことが
あるかも知れない。

そんな長谷川さんが、一昨日、
お亡くなりになったのだ。
つい先週、バー無らいのマスターが
亡くなったことを知ったばかりだった。

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長谷川さんは、もう廃刊となった
ゲイ雑誌 G-menの元編集長であり、
90年代からはHIVの啓蒙活動を
始められた。

当時、まだエイズパニックのさなかで、
パートナーと付き合うのをきっかけに
受けたHIV検査で、長谷川さんは
陽性と診断されたのだった。

それからの彼の活動の幅広さは、ご存じの方も
多いだろうし、ネットで彼の名前を検索すると
彼に関する多くの事柄が出てくるはずだ。


僕が長谷川さんに最初にお会いしたのは、
それこそまだHIVに感染される直前で
おそらくバー、タックス・ノットだったと思う。

共に同じ人と付き合ったということもあって、
そんな過去の男の共通の話で盛り上がった。

それから何度か、二人で
食事に行かせてもらった。

もちろん、同性愛(LGBTQという言葉は
まだなかった)についてだけではなく、
社会、文化、そして、長谷川さんらしい
エロスに対する自由な思いを
色々と聞くことが出来たことは
僕にとって、大きな置き土産となった。

長谷川さんにとって、同性愛者であり、
HIV感染者であることから学んだ事と同時に、
男性として奔放な性的快楽や
フェティシズムを追求することは
必然でもあり、避難されたり、
卑下することではなかったのだ。


長谷川さんは、HIV感染後、
一時期、鬱病に苦しみ、
そして腸管からの出血により、血流の
滞りから、右足の切断をされた。

お見舞いに行った際も、長谷川さんは
今や、片足しか動かない、とは思えないほど
明るく元気な顔を見せてくれた。

それから車椅子で、うちの店にも何度も
来ていただき、そのたびに多くの会話を
弾ませて、腹をかかえて笑ったこともしばしば。

もう7年ほど前だが
なんと当時の首相夫人まで連れて
遊びに来ていただいたこともあった。

その後、うちの店のエレベーターが
悪戯のため、一階から乗れなくなり、
来ていただけなくなったのは残念だった。

コロナ直前に、我が家に友人を招いた
忘年会では、"ベアトリーヌ・ド・ピンク”として
書かれた詩を披露され、多くの人の
涙を誘った。

70歳には少し届かない年齢だったけれど、
彼の生命に対する勇気と意志、そして
「まだまだやり残したことがある」という
強い希望は、彼よりも少しだけ若い
僕に残してくれたのだ、そう思う。

本当にお疲れ様でした。そして、ありがとう。
あちらの場所でも、さらに華やかで
激しいピンク・ベアとして
みんなのリーダーでありますように。

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posted by みつあき at 17:07| Comment(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする