一昨日には、東京に戻って来ているけれど、
書けなかったし、特にこちらで書くこともないので
書けなかったし、特にこちらで書くこともないので
引き続き、旅行記を。
素敵な直島3日間を満喫して、その後、
素敵な直島3日間を満喫して、その後、
丸亀に行った。
10代の時から8年近く付き合った
元彼女と会おう、と話をしていたからだ。
10代の時から8年近く付き合った
元彼女と会おう、と話をしていたからだ。
そもそも、香川県生まれだった彼女だが、
僕と付き合っていたうちの6年くらいは東京に、
最初の2年くらいは香川、東京と遠距離だった。
僕も当時は自分がゲイであることを
受け入れられなかった。
いや、それ以前に「ゲイ」という定義が
当時、まったくなかったこともあり、
彼女との恋愛に夢中だった。
その2年間の文通(死語)は、おそらく
その2年間の文通(死語)は、おそらく
軽く100通を超えて、まったく読み返していないものの、
うちのどこかの箱にしっかり仕舞ってあるはずだ。
ここに何度か書いたとは思うけれど、
彼女が途中数ヶ月留学していた時に
偶然、僕が普通の映画館で
ゲイの人と知り合い、体験をしたことが
きっかけで、最終的には別れることになった。
別れる前まで、結婚する、しない、と
うだうだと言っていた僕に
「きちんと別れましょう」と
背中を押してくれた彼女。
あれがなければ、今頃、
僕は既婚者ゲイだったであろうし、
辛い思いをさせていたのかも知れない。
その後、彼女は会社のひと周り上の人と
結婚をした。
数年後、共通の友人の葬儀で会ったものの、
「おそらくこれが最後になるね」と別れたのが
僕が30歳になった頃だった。
しかし、42になった頃、僕がガンを患ったことを
しかし、42になった頃、僕がガンを患ったことを
共通の友人から聞き、病院に見舞いに来てくれてから
また付き合いが始まった。
その時、彼女にはもう小学生くらいの子供がいて、
旦那さんとも、穏やかで良い関係らしかった。
しかし、その後になって、僕が聞かされたのは
僕と同時期に、旦那さんもガンを煩い、
その5年後に亡くなってしまったようだ。
そのあたりが理由で、彼女は東京から
故郷の香川へと戻った。
店を開いてから、彼女は3度くらいだろうか、
店を覗きに来てくれた。
いつか、香川に遊びに来れば?と言われながら
こういう機会じゃなければ、僕も
なかなか行けなかった。
「私の夫は死んだけれど、愛する息子がいる。
あなたは、まさかのバーをオープンした。
本当にお互いに幸せになれて良かったわね」
丸亀のバーでグラスを傾けながら、
彼女はそう言った。
10代から20代中盤という最も多感な時期に
あらゆることで盛り上がったり、大げんかを
した事は懐かしく、それはその後の
僕の恋愛にも大きな影響を与えている。
僕が覚えていて、彼女が忘れていることも、
僕が覚えていて、彼女が忘れていることも、
その逆もたくさんあって、男女でこうして
年月が経っても、友人でいられることは
有り難かった。
彼女の助言もあり、結局、丸亀を最後に
東京に戻る予定が、最終的に翌日、
一人で松山、道後温泉に行くことになった。
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