数日前に、うちの父と母の出会いと、
何故、その父はプロ野球を好んで
観なかったのか、を書いた。
今日も改めて、そんな我が父の話。
彼は母と出会った化粧品会社の営業として
入社する前までは、大学卒業後、
祖父がやっていた海洋サルベージ
という仕事を手伝っていた。
これは海で沈没船を引き上げる、という仕事で
まだ戦後まもなかった当時、
かなり儲かったようだった。
しかし、祖父の女遊びの
激しさがあったからかどうか、
仕事は段々と厳しくなり、会社は倒産。
父は、就職活動をして決まったのが
母も入った化粧品会社だったらしい。
父は京都で暮らした大学時代、
女性にはずいぶんモテたようだった。
僕が言うのもなんだが、
父も母も若い頃は美男美女で
(それで、何故にあなたは?と言わないで。笑)
双方、それなりに良い思いを
したのではないか、と。
ただ、父は母と出会ってからと言うもの、
おそらく女性関係はなかったような気がする。
それには女ぐせが悪い祖父のことがあったのと、
とにかく母を大事にしていたのだろう。
だから、母への嫉妬も強かったようだ。
母がセールスで出る際には
そのほとんどが女性客であることが
わかっていても、とにかく母に
男性を近づけない。
うちに来る御用聞き(こうして書くと
めちゃくちゃ死語。いわゆる訪問販売系)の
人たちにも、絶対に玄関は開けるな、
という父の言葉を母は守り続けていた。
だから、父の死後、年老いた母を
見守りに来る民生委員の男性とかを
うちに入れる、入れないということで
僕と電話で言い争ったこともあった。
そして、父自身、仕事柄、自分の周りに
女性が群がるのも嫌がっていたそうだ。
確かに、父は部下や男友達が多く、
彼らをよくうちに招いており、
その折に、彼らが母を褒めていることを
嬉しそうにしていた。
どうでも良いことではあるけれど、
本当に父は結婚後、母以外の女性と
そのような関係を持たなかったのだろうか。
たまに、父も実は男が好きなのでは?
そう思ったことさえあったくらいだ。
ただ、常に僕たち子供たちと
母を「愛している」と口癖のように
言い続けていたことは嘘ではなかったのだろう。
ゲイとして生きる僕にとって、
父の存在は大きく、憧れではありながらも、
なかなか受け継ぐことが出来ないのが
少しだけ悲しくもある。
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