2020年03月05日

色々な愛の形

昨日のブログで僕が母親とのことを
書いたら、それを読んだ38歳のタジマ君が
彼とお母さんのことを話してくれた。

タジマ君のご両親は
彼が物心がつかない頃別れ、
彼はお母さんに育てられた。

でもタジマ君いわく、お母さんから
愛情を感じたことはなかった、と言う。

赤ん坊の頃はともかく、
幼少時期に抱きしめられた記憶も
まったくなかった。

寮生活だった高校時代から
実家に帰っても
「何しに帰ってきたの?」と
冷たくあしらわれた。

そんな中で、テレビドラマの母子モノや
友人からの両親との話を耳にするたびに
辛かった、そう言う。

アルバイトをし、自分の力で大学に入り、
そのまま就職。
そのあいだ、あ母さんが住む故郷には
一度も帰らず、彼女からも連絡がなかったそうだ。


彼が30になった時に、
60になった母親から連絡があった。
再婚する、という話だった。

勝手にすれば良い、そう思っていた。

しかし、その後、義父となる
母親の新しい夫からたびたび連絡があり、
二人で会うようになったのだそうだ。

母親はずいぶん前から癌を患っていて、
その男性がずっと面倒を見てくれていた。

「君に、何も頼もうとは思っていない。
でも、何もしてあげられなかったお母さんは
君に済まないと思っている。
許してあげてくれないか。」
そう言われた。

そんな言葉で、すぐには許すことが出来なかった。

その頃、タジマ君が付き合いだした彼に相談をした。
彼は、許してやれよ、そう言った。


今から3年前。お母さんは、癌が進み、
危篤状態となった。
その時、タジマ君は自分のパートナーを連れて
病院に行ったのだそうだ。

お母さんはしっかりとタジマ君を見て
ベッドの上で、ただただ泣いていたそうだ。
タジマ君は、彼を「僕の大切な人だ」
そう紹介すると、母親はうん、
うんとうなづいてくれたらしい。

タジマ君は義理の父親に申し出て、
喪主を務めた。

小さい葬儀場で、ほとんど
知人を呼ぶこともなく、
ささやかな葬儀だったようだ。

何を話したか、わからなかったし、
涙も出なかった。

葬儀のあと、
母親とは体調が悪いところしか
見られなかった義理の父親が
「何か困ったことがあったら
いつでも相談してください。
僕で良ければいくらでも力になります」
そう言ってくれた。

タジマ君が、ずっと恨み、
憎み続けたお母さんを
許すことが出来たのは、その人の存在だったと言う。

「僕こそ、あなたに何かあったら、
力になりたい、そう思っています。」
そう言いながら、義理の父親と
パートナーの前で初めて涙が出た。
タジマ君はそう言った。

色々な愛の形がある。
そう思った。

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posted by みつあき at 19:29| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする