2017年03月14日

38年ぶりの再会

40年近く前、僕は大学を中退し、
1年アルバイトをしたあと、
横浜にあった映画の専門学校に入った。
まだ、こちらの世界に足は踏み入れておらず、
その前の年にバイトで知り合った女性と
付き合い出して2年目だった頃だった。

当時、その学校は2年制で、
僕のように二十歳を越した者も多くいたし、
高校卒業して18歳で者もいた。
僕よりも年上も何人かいて、
大きい歳の開きは7歳か8歳
あったのかも知れない。

1年に入ってすぐ、福島県の農村に
一週間ほど手伝いに行く、
という不思議なカリキュラムがあり、
各自、それぞれ農家のお宅に
ホームステイさせていただいた。

その実習途中で大きな飲み会があり、
クラスの連中とはそこで仲良くなった。
それから横浜に戻り、毎週のように
集まっては朝まで飲んだ。

ピュン丸、アンドレ、カッシャン、少年、
キンチャン、ハラチャンなど、
ほとんどあだ名で呼び合い、
朝まで爆笑したものだ。

2年からは、それぞれが演出、脚本、
俳優、録音、撮影などなど
部が分かれていき、
それほど集まることはなくなった。
僕は演出クラスに入った。

しかし、そのたった2年間(特に最初の1年)は、
本当に短くも、濃い関係だった。

その後、それぞれ自分の道を歩み、
僕も映像関連の仕事を経て、
今の店をオープンした。

その中で3人ほどは、
ふらりと店に来てくれたりもした。
その際に、級友の存在を確認するべく、
ネットで調べたら、大阪で演劇活動をしていた
一人(大竹野正典君)が海で溺れ死んでいたことを知った。

その事を僕はFacebookで見つけた
録音技師をやっているピュン丸こと藤丸に連絡した。


そんなこんなで、3週間ほど前に、
何人かで集まろうという流れとなった。

そして先週の土曜日に、
ほぼ38年ぶりに同級生が集ったのだ。
僕を入れて7人だった。
当然だけれど、それぞれ結婚もし、
子供も授かり、
その子たちも彼らの手元から離れていた。

そりゃ、そうだ。38年だもの。

新宿でワイワイと飲んだあと、土曜日だったので
そのまま、うちの店に来てくれた。

当時、車の免許取り立てのピュン丸が
中古のスカイラインにブラッキーという名を付け、
飲酒運転をして(もう時効だろう)江ノ島まで車を飛ばし、
ビーチ・ボーイズや、デビューしたての
サザン・オール・スターズを観たのは
本当に懐かしい思い出だ。

ピュン丸は、僕がゲイであることを
カミングアウトしたことを喜び、
時代は変わったし、十分自分は
受け入れていける、そう言ってくれた。

当時、僕のアパートから
歩いて10分ほどの場所に住んでいたアンドレは
しょっちゅう、一緒にいた友人で
「当時、まったくカミングアウトされなかったからか、
やっぱりゲイだと聞いたのは、ショックだった」と言った。

当時は僕自身、まだゲイであることを
受け入れていられていなかったし、
だからこそ、結婚前提で付き合っている彼女もいたのだ。

少なくとも、確実に僕にもそういう時期だったのだ。
そして、そういう時代があったからこそ、
今があるのだ、改めて、そう思う。

僕は店を開くことによって、
高校時代、大学、そしてこの専門学校、
加えて入っていた映画会社、
その後のAV会社時代も含めて、
関わった多くの人たちと改めて交流することが出来た。

店を開かなければ、それぞれと
再会することもなかったような気がする。

とっても長いブログになってしまったけれど、
そんな機会を与えてもらえたことに
改めて感謝したい。


posted by みつあき at 15:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする